おきらく歩き遍路(通算6巡目)81番白峯寺~86番志度寺
おきらく歩き遍路(通算6巡目)81番白峯寺~86番志度寺
平成28年11月12日(土)
今日は0508始発の列車に乗り、
新大阪~岡山~宇多津~八十場と順調に列車旅を楽しみ、
四国に侵入しました。
0812
「八十場駅」着
ここから白峯寺まで歩きます。
今日は天気も上々、それに寒くないです。
ヒートテックのアンダーシャツを着てきたんですが、汗をかきそう。
天皇寺から白峯寺のある白峰山への遍路道は、標識も少なく
ここ歩いていて正しい道なのか?
と心配になってしまいます。
電柱に見つけた遍路シールの痕跡を
じっと目を凝らせば矢印の跡が見える。ここだ!
今度油性のマーカーを持ってきて塗りましょうかね。
艱難辛苦の上
見覚えのある高野町界隈にたどり着きました。
ここには番外札所 松浦寺があります。
いつも気になっていたところです。
行こうか・・・行くまいか
迷ったら進めです!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
番外札所 松浦寺遍照院
弘法大師が42歳のときこの地を訪れた際、西の方角より阿弥陀如来が現れ、
まばゆい光を放って辺りを照らしたという。
そこで大師は阿弥陀如来を刻んで本尊とし、堂宇を建立した。
この時、大地が鳴動して大きな丸い石が湧出したので、大師はその石の上で
求聞持法を修し、自像を刻んで安置した。
厄年の者がこれを拝して厄除けとしたことから、『厄除大師』と呼ばれるよう
になった。
またここの地名は「高屋」という。
今は衰退しているという雰囲気が漂うが、由緒正しい寺院である。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山門の荒れ果てようが痛々しいが
朽ちかけた古寺、という雰囲気も妙にいい味です。
不謹慎である!と怒られるかもしれませんね。
すすすいません。
ここから山道の車道を通って白峰山に登ります。
わし、こっちの道のほうが好きなんですよ。
「血の宮」と、別当寺の曼陀羅霊場14番観音寺
忌中のわしは鳥居をくぐることは出来ないので
眷属様に怒られないよう遠くから遥拝のみします。
スカイラインをグネグネ歩くと、
崇徳天皇陵墓へと至る参道に出ます。
ここから白峯寺まで1.0kmと表示がありますが
どっこい、なかなか骨の折れる参道なんです。
延々と続く石段に、心が折れそうになった事がありました。
五色台はハイカーの登山道として人気の
トレッキングコースなんでしょうね。
お年寄りの夫婦や、夫人達のグループとすれ違ったり
追い越したり。
若者たちが石段を駆け上ってトレーニングをしています。
今日はなんだか調子がいい。
ダブルストックのお陰か、気候のせいか、お山の霊気か
石段を登るのがそんなに辛くはないよ。
割とすぐに崇徳天皇陵にたどりつきました。
ここでも遥拝のみにします。
今日は上空にカラス様はいないなあ。
やはり眷属はわしから遠ざかっているのでしょうか。
1030
81番 白峯寺着
駐車場は車で一杯です。
門から出てくる婦人たちはミカンの袋を抱えていますよ。
ああ、納経所前の参道でミカンを売っているんですね。
わしも欲しかったんですが、一袋の量が多すぎる。
御接待で少し置いてないかなあ・・・ない。
山奥のお寺の紅葉の美しさは言葉に表せません。
もう少し季節がさがればもっと美しくなっているのでしょうね。
大師堂前でオートフォーカスで記念写真を撮ろうと
一生懸命セットしているお父さんがいたので
「もし、シャッターを押して進ぜようかの?」
ついお節介を・・・
紅葉の美しい境内を歩いていると
目に入る景色すべてが心地よく、
気持ちがゆったりしてきます。
ああ、日本は美しい国やなあああああ。
この気持ちを持ったまま、次に行きます。
ちょっとこの看板が気になりますが、
今日はハイカーたちが沢山山道を歩いているので
獣たちは寄ってこないでしょう。
それでも金剛杖につけた鈴をボリューム全開で鳴らしながら歩きます。
白峯寺から500mほど山道を歩くと左に灯篭があります。
前々から気になっていたんですが、
この奥に白峯寺奥ノ院があるのです。
石畳の道を100mくらい下っていくと、
崖のわずかな空間にお堂が建てられていて、
その中に毘沙門天の石仏が安置されていました。
白峯寺奥ノ院毘沙門窟着
火気厳禁なのでお賽銭、読経のみをします。
民俗学者の五来重氏によると、瀬戸内の海上に光を放つ流木があったので
引き上げて千手観音を刻んで白峯寺ご本尊とした、という話があり
流木を引き上げたという伝承の場所が白峯寺の海の辺路で、
そこが奥ノ院だそうな。
たしかにここから海が見える(気がする)が、
先の伝承の奥ノ院は相模坊天狗を祀っているので、
ここの奥ノ院とは違うのかな?
今日は本当に調子がいい。
古傷の足の関節は痛み止めも効いていてそんなに痛まない。
登り勾配の道もあるが、あえぎあえぎ登る道でもない。
調子よく歩く。山はいいなあ。
お腹もすいてきたことですし、
閼伽井のベンチでお昼にしましょうかね。
これは昨夜自分で作ってきた炊き込みご飯のお握りです。
巨大なんで1個食べたら結構お腹に来ます。
登り道を登りきったら車道に出ました。
すぐのところにある接待所には今日は誰もいませんね。
その先にある茶店にフラフラと入ってしまいます。
さっきお握りを食べたばっかりなのに、
頭の中は「何を食べようかな?」で一杯なんです。
親子丼とおでんを頼んでしまいました。
親子丼を待つ間に、ふと目に付いたのは
「八十八ヶ所を徒歩で百回参拝した方の納札」
おおおおお、すごいですねええええ。
なんでも高知県の農家の方だそうで、すごい早さで歩いて廻るそうな。
何年かかって百回廻ったのかなあ。
わしには到底出来ないよ。
でも歩くことが出来る限りは歩いていきたいと思います。
車だけで百回廻って錦札切るような真似はしたくないなあ。
20回くらいは歩きで廻りたいと願う凡俗のわしです。
車道から遍路道へと下ると宿泊できる遍路小屋があります。
お茶接待用の屋根の下にはオジサン遍路が2人占拠していて
騒々しくお喋りしていたので、寄るのは遠慮しておきました。
1320
82番 根香寺着
ここの駐車場も満杯で、空き待ちの車が車道を塞いでいたり
混雑しています。いまが秋遍路の真っ最中なのでしょうか。
幸いダンタイサンのバスはいない。
ここの紅葉も来週にはもっと綺麗になっているでしょうね。
小型犬を連れた婦人がショルダーバッグに犬を入れていて、
大人しく顔だけ出して参拝に付き合っていました。
納経所で並んでいるとき、知らずにいた別の婦人が
顔だけ出している犬に気づき、大層驚いていました。
さて今日のお宿は80番国分寺門前のえびす屋さんです。
白峰台の稜線を歩き、国分寺へ降りる道を降りようか、
このまま鬼無に降りようか、ちょっと迷いましたが
景色もよさそうなので鬼無への車道を降りることにしました。
実はこれが間違いでした。
この道は83番一宮寺への道なので、むしろ80番国分寺から
遠ざかっていくのです。
途中から気が付いたのですがもう遅い。
結構時間をロスしてしまったので
「鬼無駅」から下り列車に乗って「国分駅」まで行きました。
国分寺前を素通りするのは失礼なので
本堂まで行ってご本尊にご挨拶をしてから
本日のお宿の「えびす屋」に到着!
玄関には、去年わしが差し上げた国分寺の絵が飾られていました。
なんか気恥ずかしいよね・・・
洗濯・乾燥はお接待、お風呂に入ってゆったりしていると、
階下から魚を煮るいい香りが漂ってきて、すきっ腹に沁みます。
今日の同宿者は定年後のおじさんたちが4人です。
通しが1人、あとは区切りです。
区切りの1人は、わしの住む裏京都市の方でした。
世間は狭いですね~。
それから、わしのブログを読んでくださっている方もいて
ちょっと恥ずかしかったんですが、
少しすこしでもわしの記事がお遍路さんたちの情報源となれば・・・と
考えます。
あいかわらずここの魚の煮付けはタレが絶品で
魚を食べた後もタレをご飯に絡めて食べると
またそれだけでご飯一杯分食べられます。
お遍路仲間の評判では、ここのお宿は
『遍路の予定を無視した予定を押し付ける』
なんて書かれていますが、
それは大きな間違いです。
80番国分寺は開門が0700で、
それ以前には境内には入れないのです。
ですから早立ちのお遍路さんが納経所が開く0700以前に
お勤めして、御朱印を貰おうとしても、無理なのです。
この理由から、女将さんは前日1700までに国分寺を打つことを
お勧めしているのです。
決して遍路予定の押し付けではないのです。
お遍路宿や、札所の評判というのはお遍路さん個人の主観に
基づいた事なので、あくまで本人が経験して評価を決めるべきです。
後述する志度のお宿の件に関しても、わしの経験からの主観です。
今書いた事と矛盾するかもしれませんが
お宿を決めるのは、あくまで本人次第です。
部屋に戻って荷物を整理していて、あっとおどろき。
遍路地図がない!
荷物を全部ひっくり返しても、ない。
きっと根香寺の大師堂脇で下山ルートを検討する際に
遍路地図を引っ張り出して
リュックに入れ忘れてしまったのか。
ああ~
色々考えてみました。
6周目も終わりに近づいて
そろそろ遍路地図も頭に入っていることだし、
もう遍路地図に頼るな、というお告げなのかしらん。
そう考えてはみたものの、やっぱり気になる。
たしか先日おきらく歩き遍路で一緒に歩いた今治のWさんが、
明日87番から車で逆に廻る、と言っていたなあ。
メールでお願いしておこう。
すみませんです。
11月13日(日)
0550
朝から大飯をいただいて、早めに出発しましょうかね。
通し打ちのお父さんは4時頃出たそうです。
何でも一日4~50kmは歩くと言っていました。
わしにはそんな真似はできませんて。
まだ国分寺の門は開いていません。
「国分駅」~「高松駅」まで移動して
駅前でコーヒーブレイク
琴電「高松築港駅」~「瓦町駅」~「琴電屋島駅」まで移動します。
今日は日曜の朝なので観光客らしい人しか乗っておらず、
車内は空いていますね。
「琴電屋島駅」前にある屋島山上シャトルバスの駅でしばらく待ち、
0845発のバスで屋島山上を目指します。100円なり。
0900
84番 屋島寺着
さすがにここは観光地だけあって参拝以外の観光客も多い。
ひときわ賑やかなのは韓国人のダンタイサンです。
わしが参拝している姿を写真に撮ろうと追っかけてくるが
なんの断りもなく人を撮影するんはマナー違反じゃない?
わしが嫌がって身をひるがえしたら
(サツエイ ダメナノ?)
という身振りをしました。
あたりまえじゃん!
ちゃんと被写体の許可を得るのは万国共通のマナーです。
納経所ではわしの新作屋島寺の絵を納めさせていただきました。
「これ、シルクスクリーンですか?」
「い、いえ。パソコンで色塗ったのです」
「?」
「下絵を描いて、パソコンで取り込んで色塗るのです」
駐車場売店に寄ってみると・・・
今年もありました。
金陵酒造の純米新酒「ひやおろし」
これ、カーチャンが好きなんですよおおおおお。
お遍路三昧の罪滅ぼしに、四国の美味しいお酒を送っています。
2本送りました。
これでよし。
今日は秋晴れのいいお天気なので
色々なイベントをやっていますよ。
屋島ウオークの御刀自さまたちが集まっています。
「○○ちゃん、ほらいくよ」
「わたしは膝が痛いんで、ここで待ってるよ」
「そんなの、せっかく来たのに~」
「そんなに大変じゃない路だって言ってるよ~」
「やっぱりここに居るわ」
姦しくも賑やかです。
シャトルバスで「琴電屋島駅」まで降りてきて
琴電に乗り、2駅先の「琴電八栗駅」まで移動します。
そこから五剣山を眼前に見ながら歩いて行きます。
八栗ケーブルカーに乗ろうか乗ろまいか・・・
悩んだ末、歩いて登ることにしました。
登山道には大きな鳥居がある。
脇をくぐって・・・
名物草もちの店を横目で見ながら、
更にまた鳥居の脇をくぐり、
おや?
「旧へんろ道整備復旧」ですと?
そおおおおおおかあ、わしはこれに呼ばれたんやね。
平成28年4月に地元の保存会が整備してくれたそうな。
ありがたや。
「七曲り道」という名がついていて、
たしかに羊腸の小徑は苔滑らかです(苔はない)
わしの地元の四国八十八箇所写しがある山に雰囲気がよく似ていて、
自然と顔がほころんできました。
ああ、いいなあ。この路。
今日のお遍路はこの路を歩くためにきたんやなあ。
やがて「お迎え大師」さまの下に出てきました。
門前の茶店にはアイスクリンがある!
前回、松山でアイスクリンを食べられなかった思い出が蘇り
参拝前ながら、店先にドッカと腰掛けてアイスクリンをいただきました。
店の女将さんに七曲り道のことを話したら
小学生の頃には毎日その道を上り下りして通学していたのだそうな。
さぞかし足腰が鍛えられたでしょうねええええええ。
さて門の前にはまたしても鳥居があります。
右の脇を通ろうか、左の脇を通ろうか・・・
1120
85番八栗寺着
寺域にある神社の眷属様たちに遠慮しながら境内を足早に過ぎる。
蝶々も鳥も虫も来ない。
境内には焼き栗の屋台がありました。
なるほど、八栗寺の縁起にちなんで焼き栗かああ。
鳥居の脇をくぐって大師堂へ急ぐ。
聖天様のご機嫌も気にしつつ、
さっさと納経を済ませ、
八栗寺を後にしました。
ここからまた車道の山道を下り、下界へと出てきます。
今日は車遍路さんたちがひっきりなしに通ります。
琴電「塩屋駅」の前にあるうどんやさんで昼食にしましょう。
最近はいつもここでうどんをいただきます。
これだけで620円ですよ。
うどんを食べていたら、Wさんからメールが届き
「遍路地図ありましたよ!」
おおっ
南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛
ありがたいことです。
12月の善通寺研修会で会った時に渡してもらうことにします。
ありがとうございました。
お腹も出来た事だし
お遍路地図も見つかって
心安らかに志度の町を歩いて行くと
平賀源内の生家や資料館が見えてきます。
1330
志度寺奥ノ院地蔵寺着
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
志度寺を開いた薗子尼が住んでいたので「薗子屋敷」といい、
また「文殊屋敷」とも呼ばれ、志度寺よりも古い寺である。
景行天皇の頃、土佐の海に大魚が居て、舟を襲い人を喰い横暴の限りを尽くした。
日本武尊の子、霊子が悪魚退治を命じられた。
霊子は五百の軍船を造り千数百の兵士を集めて出発したが、
悪魚に舟も兵士も一飲みにされてしまった。勇敢な霊子は体内の軍船に火をつけ、
悪魚を退治したので、褒美に讃岐の国を貰い、国司として善政をしいた。
里人は讃留霊王(さるれおう)と呼び尊敬した。
悪魚のたたりを恐れてお堂を建ておまつりしたのがこの地蔵寺と伝えられている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お勤めを済ませて納経所を見ると、閉まっています。
本坊の方に行ってチャイムを鳴らしたら住職が出てきて納経所を開けてくれました。
とても人当たりのいい住職で、
自分自身も歩いてお遍路をしたそうです。
「このあたりに来るお遍路さんは皆、満ち足りた顔をしてにこにこしているので
そんなにお遍路は楽しいのか、と自分も歩いてみましたが、楽しいどころか何て
しんどいものかと実感しました。
ここまで来ると結願近いお遍路さんの顔は、皆満足そうな顔になるのか、と自分で
歩いてみて解った」
大変興味深い話です。
なるほど、結願近くの宿で一緒になるお遍路さんは、もうすぐこの旅も終わりか、
といった安堵感と、旅を振り返り、感慨深い気持ちが入り混じっていることを
感じたものです。
御接待にお茶をいただきました。
ここからまっすぐ進めば、もう志度寺です。
1359
86番 志度寺着
鬱蒼とした寺域は紅葉が鮮やか、と思いきや
意外と緑が多いですね。
門の脇では、お寺の方がピンセットで小さな雑草を抜いていました。
なるほど、ここの木々はこういう方々の努力で美しく保たれているのですね。
それにしても、蚊が多い。
まだまだ温かいからでしょう。
本堂の周りは線香の煙で蚊が近寄ってこないのですが
一歩離れたらたちまち寄って来ます。
案外早く今日の予定が終わってしまいました。
いまから宿に行くのは早すぎるなあ。
本堂脇のベンチに腰掛けてちょっと休憩しましょう。
ここならば蚊が寄ってこない。
温かい日差しでうつらうつら・・・昼寝してしまいました。
1500
そろそろお宿に行こうか。
今日のお宿は志度寺から歩いて3分、「栄荘」
夕食が豪華というので楽しみにしていました。
洗濯はお接待、乾燥は200円だそうです。
お風呂に入り、本を読んで時間を潰していると、
1720頃
腰の曲がったお婆さんが夕食を知らせに来ました。
今日のお泊りはお遍路さんはわし独り。
4人は工事関係の長期滞在者で、食事はもっと後の時間です。
ここは「海鮮料理いせだ」から料理を持ってくるそうで、美味しそう。
でも
ご飯がないよ。
ビールを頼んだから、後で持ってきてくれるんでしょうか。
この蕎麦はどうやって食べるんかなあ。
わしとしてはかなりゆっくりと食べたのですが、
最後までご飯は来ませんでした。
お婆さんが忘れてしまったのでしょうか・・・
食事を終えて帳場に行き、
「あの~、ご飯は・・・」
女将さんが出てきて
「あっ!」
不具合に気づいたようです。
お婆さんは少し耄碌しているのだろうか。
「お蕎麦のつゆが来なかったんですが・・・」
「お鍋に入れるのです。お婆ちゃん、教えてあげなきゃだめじゃない!」
「£БдЖ・・・」
お婆さんによると、蕎麦は鍋に入れるのが普通だそうだ。
ええ~~~~っ!
一見のお客さんはそんなこと知りませんよ。
女将さんが
「お握りを・・・」
「今頃それだけ食べてもしゃ~ないやんけ!」
とってもとっても残念な夕食でした。
そのほか細々と不具合な事件が続いたが、
もう書くのはやめておいて、
お遍路さんは早寝早立ちなのでもう寝ます。
途中何度かメールの着信やSNSの書き込み連絡で眠りを破られましたが
21時前には高鼾でした。
11月14日(月)
0430に目が覚めました。
身支度などをして時間を潰し、
0630に朝食
またしても色々あったが、書くのはやめておきます。
さっさと朝食を済ませて
宿泊代を払いに行きました。
昨夜の夕食の件もあったが正規の料金を請求されたので
言われるままに払いましたが、
もうここの栄荘に泊まるのはは遠慮したいなあ。
徹底的に御縁がなかったと思うしかない。
御接待らしきお握りを出されましたが、
敢えて遠慮しておきました。
御接待をお断りしたのは3年前の車接待以来です。
そのままJRの駅まで歩いて行き、普通~快速を乗り継いで岡山まで行き
新幹線で新大阪まで帰ってきました。
どうも志度ではいいことがないなあ。
なにかわしの訪問を妨げている何かがあるのかしらん。
気を取り直して
次は11月26日(土)に87番長尾寺、88番大窪寺を打って
6巡目の結願となります。
平成28年11月12日(土)
今日は0508始発の列車に乗り、
新大阪~岡山~宇多津~八十場と順調に列車旅を楽しみ、
四国に侵入しました。
0812
「八十場駅」着
ここから白峯寺まで歩きます。
今日は天気も上々、それに寒くないです。
ヒートテックのアンダーシャツを着てきたんですが、汗をかきそう。
天皇寺から白峯寺のある白峰山への遍路道は、標識も少なく
ここ歩いていて正しい道なのか?
と心配になってしまいます。
電柱に見つけた遍路シールの痕跡を
じっと目を凝らせば矢印の跡が見える。ここだ!
今度油性のマーカーを持ってきて塗りましょうかね。
艱難辛苦の上
見覚えのある高野町界隈にたどり着きました。
ここには番外札所 松浦寺があります。
いつも気になっていたところです。
行こうか・・・行くまいか
迷ったら進めです!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
番外札所 松浦寺遍照院
弘法大師が42歳のときこの地を訪れた際、西の方角より阿弥陀如来が現れ、
まばゆい光を放って辺りを照らしたという。
そこで大師は阿弥陀如来を刻んで本尊とし、堂宇を建立した。
この時、大地が鳴動して大きな丸い石が湧出したので、大師はその石の上で
求聞持法を修し、自像を刻んで安置した。
厄年の者がこれを拝して厄除けとしたことから、『厄除大師』と呼ばれるよう
になった。
またここの地名は「高屋」という。
今は衰退しているという雰囲気が漂うが、由緒正しい寺院である。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山門の荒れ果てようが痛々しいが
朽ちかけた古寺、という雰囲気も妙にいい味です。
不謹慎である!と怒られるかもしれませんね。
すすすいません。
ここから山道の車道を通って白峰山に登ります。
わし、こっちの道のほうが好きなんですよ。
「血の宮」と、別当寺の曼陀羅霊場14番観音寺
忌中のわしは鳥居をくぐることは出来ないので
眷属様に怒られないよう遠くから遥拝のみします。
スカイラインをグネグネ歩くと、
崇徳天皇陵墓へと至る参道に出ます。
ここから白峯寺まで1.0kmと表示がありますが
どっこい、なかなか骨の折れる参道なんです。
延々と続く石段に、心が折れそうになった事がありました。
五色台はハイカーの登山道として人気の
トレッキングコースなんでしょうね。
お年寄りの夫婦や、夫人達のグループとすれ違ったり
追い越したり。
若者たちが石段を駆け上ってトレーニングをしています。
今日はなんだか調子がいい。
ダブルストックのお陰か、気候のせいか、お山の霊気か
石段を登るのがそんなに辛くはないよ。
割とすぐに崇徳天皇陵にたどりつきました。
ここでも遥拝のみにします。
今日は上空にカラス様はいないなあ。
やはり眷属はわしから遠ざかっているのでしょうか。
1030
81番 白峯寺着
駐車場は車で一杯です。
門から出てくる婦人たちはミカンの袋を抱えていますよ。
ああ、納経所前の参道でミカンを売っているんですね。
わしも欲しかったんですが、一袋の量が多すぎる。
御接待で少し置いてないかなあ・・・ない。
山奥のお寺の紅葉の美しさは言葉に表せません。
もう少し季節がさがればもっと美しくなっているのでしょうね。
大師堂前でオートフォーカスで記念写真を撮ろうと
一生懸命セットしているお父さんがいたので
「もし、シャッターを押して進ぜようかの?」
ついお節介を・・・
紅葉の美しい境内を歩いていると
目に入る景色すべてが心地よく、
気持ちがゆったりしてきます。
ああ、日本は美しい国やなあああああ。
この気持ちを持ったまま、次に行きます。
ちょっとこの看板が気になりますが、
今日はハイカーたちが沢山山道を歩いているので
獣たちは寄ってこないでしょう。
それでも金剛杖につけた鈴をボリューム全開で鳴らしながら歩きます。
白峯寺から500mほど山道を歩くと左に灯篭があります。
前々から気になっていたんですが、
この奥に白峯寺奥ノ院があるのです。
石畳の道を100mくらい下っていくと、
崖のわずかな空間にお堂が建てられていて、
その中に毘沙門天の石仏が安置されていました。
白峯寺奥ノ院毘沙門窟着
火気厳禁なのでお賽銭、読経のみをします。
民俗学者の五来重氏によると、瀬戸内の海上に光を放つ流木があったので
引き上げて千手観音を刻んで白峯寺ご本尊とした、という話があり
流木を引き上げたという伝承の場所が白峯寺の海の辺路で、
そこが奥ノ院だそうな。
たしかにここから海が見える(気がする)が、
先の伝承の奥ノ院は相模坊天狗を祀っているので、
ここの奥ノ院とは違うのかな?
今日は本当に調子がいい。
古傷の足の関節は痛み止めも効いていてそんなに痛まない。
登り勾配の道もあるが、あえぎあえぎ登る道でもない。
調子よく歩く。山はいいなあ。
お腹もすいてきたことですし、
閼伽井のベンチでお昼にしましょうかね。
これは昨夜自分で作ってきた炊き込みご飯のお握りです。
巨大なんで1個食べたら結構お腹に来ます。
登り道を登りきったら車道に出ました。
すぐのところにある接待所には今日は誰もいませんね。
その先にある茶店にフラフラと入ってしまいます。
さっきお握りを食べたばっかりなのに、
頭の中は「何を食べようかな?」で一杯なんです。
親子丼とおでんを頼んでしまいました。
親子丼を待つ間に、ふと目に付いたのは
「八十八ヶ所を徒歩で百回参拝した方の納札」
おおおおお、すごいですねええええ。
なんでも高知県の農家の方だそうで、すごい早さで歩いて廻るそうな。
何年かかって百回廻ったのかなあ。
わしには到底出来ないよ。
でも歩くことが出来る限りは歩いていきたいと思います。
車だけで百回廻って錦札切るような真似はしたくないなあ。
20回くらいは歩きで廻りたいと願う凡俗のわしです。
車道から遍路道へと下ると宿泊できる遍路小屋があります。
お茶接待用の屋根の下にはオジサン遍路が2人占拠していて
騒々しくお喋りしていたので、寄るのは遠慮しておきました。
1320
82番 根香寺着
ここの駐車場も満杯で、空き待ちの車が車道を塞いでいたり
混雑しています。いまが秋遍路の真っ最中なのでしょうか。
幸いダンタイサンのバスはいない。
ここの紅葉も来週にはもっと綺麗になっているでしょうね。
小型犬を連れた婦人がショルダーバッグに犬を入れていて、
大人しく顔だけ出して参拝に付き合っていました。
納経所で並んでいるとき、知らずにいた別の婦人が
顔だけ出している犬に気づき、大層驚いていました。
さて今日のお宿は80番国分寺門前のえびす屋さんです。
白峰台の稜線を歩き、国分寺へ降りる道を降りようか、
このまま鬼無に降りようか、ちょっと迷いましたが
景色もよさそうなので鬼無への車道を降りることにしました。
実はこれが間違いでした。
この道は83番一宮寺への道なので、むしろ80番国分寺から
遠ざかっていくのです。
途中から気が付いたのですがもう遅い。
結構時間をロスしてしまったので
「鬼無駅」から下り列車に乗って「国分駅」まで行きました。
国分寺前を素通りするのは失礼なので
本堂まで行ってご本尊にご挨拶をしてから
本日のお宿の「えびす屋」に到着!
玄関には、去年わしが差し上げた国分寺の絵が飾られていました。
なんか気恥ずかしいよね・・・
洗濯・乾燥はお接待、お風呂に入ってゆったりしていると、
階下から魚を煮るいい香りが漂ってきて、すきっ腹に沁みます。
今日の同宿者は定年後のおじさんたちが4人です。
通しが1人、あとは区切りです。
区切りの1人は、わしの住む裏京都市の方でした。
世間は狭いですね~。
それから、わしのブログを読んでくださっている方もいて
ちょっと恥ずかしかったんですが、
少しすこしでもわしの記事がお遍路さんたちの情報源となれば・・・と
考えます。
あいかわらずここの魚の煮付けはタレが絶品で
魚を食べた後もタレをご飯に絡めて食べると
またそれだけでご飯一杯分食べられます。
お遍路仲間の評判では、ここのお宿は
『遍路の予定を無視した予定を押し付ける』
なんて書かれていますが、
それは大きな間違いです。
80番国分寺は開門が0700で、
それ以前には境内には入れないのです。
ですから早立ちのお遍路さんが納経所が開く0700以前に
お勤めして、御朱印を貰おうとしても、無理なのです。
この理由から、女将さんは前日1700までに国分寺を打つことを
お勧めしているのです。
決して遍路予定の押し付けではないのです。
お遍路宿や、札所の評判というのはお遍路さん個人の主観に
基づいた事なので、あくまで本人が経験して評価を決めるべきです。
後述する志度のお宿の件に関しても、わしの経験からの主観です。
今書いた事と矛盾するかもしれませんが
お宿を決めるのは、あくまで本人次第です。
部屋に戻って荷物を整理していて、あっとおどろき。
遍路地図がない!
荷物を全部ひっくり返しても、ない。
きっと根香寺の大師堂脇で下山ルートを検討する際に
遍路地図を引っ張り出して
リュックに入れ忘れてしまったのか。
ああ~
色々考えてみました。
6周目も終わりに近づいて
そろそろ遍路地図も頭に入っていることだし、
もう遍路地図に頼るな、というお告げなのかしらん。
そう考えてはみたものの、やっぱり気になる。
たしか先日おきらく歩き遍路で一緒に歩いた今治のWさんが、
明日87番から車で逆に廻る、と言っていたなあ。
メールでお願いしておこう。
すみませんです。
11月13日(日)
0550
朝から大飯をいただいて、早めに出発しましょうかね。
通し打ちのお父さんは4時頃出たそうです。
何でも一日4~50kmは歩くと言っていました。
わしにはそんな真似はできませんて。
まだ国分寺の門は開いていません。
「国分駅」~「高松駅」まで移動して
駅前でコーヒーブレイク
琴電「高松築港駅」~「瓦町駅」~「琴電屋島駅」まで移動します。
今日は日曜の朝なので観光客らしい人しか乗っておらず、
車内は空いていますね。
「琴電屋島駅」前にある屋島山上シャトルバスの駅でしばらく待ち、
0845発のバスで屋島山上を目指します。100円なり。
0900
84番 屋島寺着
さすがにここは観光地だけあって参拝以外の観光客も多い。
ひときわ賑やかなのは韓国人のダンタイサンです。
わしが参拝している姿を写真に撮ろうと追っかけてくるが
なんの断りもなく人を撮影するんはマナー違反じゃない?
わしが嫌がって身をひるがえしたら
(サツエイ ダメナノ?)
という身振りをしました。
あたりまえじゃん!
ちゃんと被写体の許可を得るのは万国共通のマナーです。
納経所ではわしの新作屋島寺の絵を納めさせていただきました。
「これ、シルクスクリーンですか?」
「い、いえ。パソコンで色塗ったのです」
「?」
「下絵を描いて、パソコンで取り込んで色塗るのです」
駐車場売店に寄ってみると・・・
今年もありました。
金陵酒造の純米新酒「ひやおろし」
これ、カーチャンが好きなんですよおおおおお。
お遍路三昧の罪滅ぼしに、四国の美味しいお酒を送っています。
2本送りました。
これでよし。
今日は秋晴れのいいお天気なので
色々なイベントをやっていますよ。
屋島ウオークの御刀自さまたちが集まっています。
「○○ちゃん、ほらいくよ」
「わたしは膝が痛いんで、ここで待ってるよ」
「そんなの、せっかく来たのに~」
「そんなに大変じゃない路だって言ってるよ~」
「やっぱりここに居るわ」
姦しくも賑やかです。
シャトルバスで「琴電屋島駅」まで降りてきて
琴電に乗り、2駅先の「琴電八栗駅」まで移動します。
そこから五剣山を眼前に見ながら歩いて行きます。
八栗ケーブルカーに乗ろうか乗ろまいか・・・
悩んだ末、歩いて登ることにしました。
登山道には大きな鳥居がある。
脇をくぐって・・・
名物草もちの店を横目で見ながら、
更にまた鳥居の脇をくぐり、
おや?
「旧へんろ道整備復旧」ですと?
そおおおおおおかあ、わしはこれに呼ばれたんやね。
平成28年4月に地元の保存会が整備してくれたそうな。
ありがたや。
「七曲り道」という名がついていて、
たしかに羊腸の小徑は苔滑らかです(苔はない)
わしの地元の四国八十八箇所写しがある山に雰囲気がよく似ていて、
自然と顔がほころんできました。
ああ、いいなあ。この路。
今日のお遍路はこの路を歩くためにきたんやなあ。
やがて「お迎え大師」さまの下に出てきました。
門前の茶店にはアイスクリンがある!
前回、松山でアイスクリンを食べられなかった思い出が蘇り
参拝前ながら、店先にドッカと腰掛けてアイスクリンをいただきました。
店の女将さんに七曲り道のことを話したら
小学生の頃には毎日その道を上り下りして通学していたのだそうな。
さぞかし足腰が鍛えられたでしょうねええええええ。
さて門の前にはまたしても鳥居があります。
右の脇を通ろうか、左の脇を通ろうか・・・
1120
85番八栗寺着
寺域にある神社の眷属様たちに遠慮しながら境内を足早に過ぎる。
蝶々も鳥も虫も来ない。
境内には焼き栗の屋台がありました。
なるほど、八栗寺の縁起にちなんで焼き栗かああ。
鳥居の脇をくぐって大師堂へ急ぐ。
聖天様のご機嫌も気にしつつ、
さっさと納経を済ませ、
八栗寺を後にしました。
ここからまた車道の山道を下り、下界へと出てきます。
今日は車遍路さんたちがひっきりなしに通ります。
琴電「塩屋駅」の前にあるうどんやさんで昼食にしましょう。
最近はいつもここでうどんをいただきます。
これだけで620円ですよ。
うどんを食べていたら、Wさんからメールが届き
「遍路地図ありましたよ!」
おおっ
南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛
ありがたいことです。
12月の善通寺研修会で会った時に渡してもらうことにします。
ありがとうございました。
お腹も出来た事だし
お遍路地図も見つかって
心安らかに志度の町を歩いて行くと
平賀源内の生家や資料館が見えてきます。
1330
志度寺奥ノ院地蔵寺着
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志度寺を開いた薗子尼が住んでいたので「薗子屋敷」といい、
また「文殊屋敷」とも呼ばれ、志度寺よりも古い寺である。
景行天皇の頃、土佐の海に大魚が居て、舟を襲い人を喰い横暴の限りを尽くした。
日本武尊の子、霊子が悪魚退治を命じられた。
霊子は五百の軍船を造り千数百の兵士を集めて出発したが、
悪魚に舟も兵士も一飲みにされてしまった。勇敢な霊子は体内の軍船に火をつけ、
悪魚を退治したので、褒美に讃岐の国を貰い、国司として善政をしいた。
里人は讃留霊王(さるれおう)と呼び尊敬した。
悪魚のたたりを恐れてお堂を建ておまつりしたのがこの地蔵寺と伝えられている。
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お勤めを済ませて納経所を見ると、閉まっています。
本坊の方に行ってチャイムを鳴らしたら住職が出てきて納経所を開けてくれました。
とても人当たりのいい住職で、
自分自身も歩いてお遍路をしたそうです。
「このあたりに来るお遍路さんは皆、満ち足りた顔をしてにこにこしているので
そんなにお遍路は楽しいのか、と自分も歩いてみましたが、楽しいどころか何て
しんどいものかと実感しました。
ここまで来ると結願近いお遍路さんの顔は、皆満足そうな顔になるのか、と自分で
歩いてみて解った」
大変興味深い話です。
なるほど、結願近くの宿で一緒になるお遍路さんは、もうすぐこの旅も終わりか、
といった安堵感と、旅を振り返り、感慨深い気持ちが入り混じっていることを
感じたものです。
御接待にお茶をいただきました。
ここからまっすぐ進めば、もう志度寺です。
1359
86番 志度寺着
鬱蒼とした寺域は紅葉が鮮やか、と思いきや
意外と緑が多いですね。
門の脇では、お寺の方がピンセットで小さな雑草を抜いていました。
なるほど、ここの木々はこういう方々の努力で美しく保たれているのですね。
それにしても、蚊が多い。
まだまだ温かいからでしょう。
本堂の周りは線香の煙で蚊が近寄ってこないのですが
一歩離れたらたちまち寄って来ます。
案外早く今日の予定が終わってしまいました。
いまから宿に行くのは早すぎるなあ。
本堂脇のベンチに腰掛けてちょっと休憩しましょう。
ここならば蚊が寄ってこない。
温かい日差しでうつらうつら・・・昼寝してしまいました。
1500
そろそろお宿に行こうか。
今日のお宿は志度寺から歩いて3分、「栄荘」
夕食が豪華というので楽しみにしていました。
洗濯はお接待、乾燥は200円だそうです。
お風呂に入り、本を読んで時間を潰していると、
1720頃
腰の曲がったお婆さんが夕食を知らせに来ました。
今日のお泊りはお遍路さんはわし独り。
4人は工事関係の長期滞在者で、食事はもっと後の時間です。
ここは「海鮮料理いせだ」から料理を持ってくるそうで、美味しそう。
でも
ご飯がないよ。
ビールを頼んだから、後で持ってきてくれるんでしょうか。
この蕎麦はどうやって食べるんかなあ。
わしとしてはかなりゆっくりと食べたのですが、
最後までご飯は来ませんでした。
お婆さんが忘れてしまったのでしょうか・・・
食事を終えて帳場に行き、
「あの~、ご飯は・・・」
女将さんが出てきて
「あっ!」
不具合に気づいたようです。
お婆さんは少し耄碌しているのだろうか。
「お蕎麦のつゆが来なかったんですが・・・」
「お鍋に入れるのです。お婆ちゃん、教えてあげなきゃだめじゃない!」
「£БдЖ・・・」
お婆さんによると、蕎麦は鍋に入れるのが普通だそうだ。
ええ~~~~っ!
一見のお客さんはそんなこと知りませんよ。
女将さんが
「お握りを・・・」
「今頃それだけ食べてもしゃ~ないやんけ!」
とってもとっても残念な夕食でした。
そのほか細々と不具合な事件が続いたが、
もう書くのはやめておいて、
お遍路さんは早寝早立ちなのでもう寝ます。
途中何度かメールの着信やSNSの書き込み連絡で眠りを破られましたが
21時前には高鼾でした。
11月14日(月)
0430に目が覚めました。
身支度などをして時間を潰し、
0630に朝食
またしても色々あったが、書くのはやめておきます。
さっさと朝食を済ませて
宿泊代を払いに行きました。
昨夜の夕食の件もあったが正規の料金を請求されたので
言われるままに払いましたが、
もうここの栄荘に泊まるのはは遠慮したいなあ。
徹底的に御縁がなかったと思うしかない。
御接待らしきお握りを出されましたが、
敢えて遠慮しておきました。
御接待をお断りしたのは3年前の車接待以来です。
そのままJRの駅まで歩いて行き、普通~快速を乗り継いで岡山まで行き
新幹線で新大阪まで帰ってきました。
どうも志度ではいいことがないなあ。
なにかわしの訪問を妨げている何かがあるのかしらん。
気を取り直して
次は11月26日(土)に87番長尾寺、88番大窪寺を打って
6巡目の結願となります。
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