天国からの電話

最近読んだ本で特に気になったものです。
ミッチ・アルボム

ミッチ・アルボム著
「天国からの電話」
アメリカのミシガン湖畔のコールドウオーターという小さな小さな町で
ある日数人の人に
死んだ人から電話がかかってきた。
それは愛する姉だったり
アフガンで戦死した息子だったり
解雇した従業員だったり

彼らは
愛するものの声を聞き涙し
癒され
戸惑い
あるいは聞きたくない声に苛立つ

電話は金曜日だけにかかってきた。
しかし、彼らはいつ自分にかかってくるか分らないので
外出もできない。電話を握り締めてひたすら待つ。
あるいはかかってくるのを恐れ、電話を解約する。

教会の礼拝中に奇跡のことを発言したことにより
それは信仰の対象になっていく
なぜならば
「天国の存在」について語られるからだ
「ここでは、苦痛はいっさいないのよ」
「愛だよ、周囲の何もかもが、愛」
「終わりは終わりじゃない」
「怒り、後悔、不安・・ここに着いたとたんに、全てが消え去る」

この小さな町の聖職者たち
カトリックの神父、プロテスタントの牧師
彼らはこの奇跡を
受け入れるべきか、
あるいは狂信者の妄言か、
喧々諤々の議論をする。
なぜうちの教会信者に奇跡は起きなかったのか?
結局自分の教会の信者を増やしたいだけ?
聖職者の間でもドロドロとした思惑が入り乱れる。

コールドウオーターの人々は
自分にも天国から電話がかかってくるかもしれない!
そんなことあるもんか!

マスコミがこの奇跡を報道すると
全米から奇跡の恩寵にすがりたい人々がわんさと集まってくる。
天国と交信できる限られた形式の携帯電話を求めて
町の小さなショップに注文が殺到する。

ここに住めば天国から電話がかかってくる。
居住を希望する人々が集まってくる。

急激に膨らんだ人口のため
違法駐車が溢れ、雪が降っても除雪車は動けない。
商店からは商品が消え
ガソリンスタンドは長蛇の列・・・

天国からの電話を受け取った人の家の周りで
祈りを捧げる集団と、否定する集団との小競り合い

次々起こる事態に
数少ない町の警察官の仕事は飽和状態になる。

やがて金曜日に全米に向けて
死者との交信が中継されることになった。

さて、このあとは読んでのお楽しみ・・・・


しかしですな、
死んだ人の声を聞きたい、もう一度会いたい
というのは過去にこだわる、
とらわれている行為ではないかと思います。
いつまでも死んだ人のことを考えていると
前に進むことができないと思うのです。

人はそんなに強くはないでしょうが
死んだ子の歳を数えると、たまらなく辛い。
辛いと顔に出る、言葉に出る、態度に出る
生き方に出る、人生に影響を与えてきます。

わしは冷たい人間なのかなあ、と思うことがあります。
死んだ人のことにいつまでもとらわれない。
と、いうか悲しくないのです。
いっとき悲しくても2~3日くらいかな?

自分には感情がないのかな?と
考えてしまったこともありました。

40代になって管理職になってから更に
過去のことをくよくよ考えることもやめました。
これって自己改革なんでしょうか。

今の自分には今日と明日しかないのです。
昨日を振り返ってくよくよしていても仕方がない。


お釈迦様は極楽浄土(=天国)については
一切語っていません。
苦しみの多い世の中を、いかによりよく過ごすかの
人生哲学なのです。
極楽の思想は釈迦入滅後、さまざまな宗教と融合する中で発生したものです。
それに、
法華経では仏像を作って拝みなさいと書かれていますが
お釈迦様はそんなこと言っていません。
入滅後500年経って編纂された経典だからです。
ことほどかように
人口に膾炙した状態宗教は形を変えて存在します。

極楽、天国なんて本当にあるの?
でもあったらいいなあ・・・・


キリスト教、仏教が成立した時点では電話はない。
ですから死後の世界との交信には、
イタコの口寄せなんてのがありましたけどもね。

でも、
死んだ人から電話がかかってくる、というのも
夢があっていいのかもしれません。
天国からの電話


この物語は衝撃的結末で幕を閉じます。
天国との交信に興味のある方、
一度読まれて、感想をお聞かせください。
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おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

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