悟りとは・・・?

仏教を信じている人は、
何に対して祈るのか?自分自身?絶対的真理?
仏教とは、苦しみの多い世の中を、
よりよく生きるための哲学なのです。

誰もが煩悩から脱して楽になりたい。
でも皆仏陀になれるわけではない。
高僧の方々が皆大悟しているのか?それは判らない。
出家しなければ悟りに至る事はできないのか。
凡下の私たちは一生悟りの境地には到達できないのだろうか?

日本人はとかく完璧さを求めすぎると思う。
英語が流暢に喋れなければ「英語はできない」と考える。
でもブロークンでも喋れるじゃない。


これと同じで
「悟りに近づく」
「悟りの率をあげる」
こういった事なら努力をすればできるんでないの?
少しでも「空の心」を感じればいいんでないの?


「空の心」すなわち「無を感じた瞬間」
だと思う。


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わしは、山登りが好きです。
山をあえぎあえぎ登っているとき、
山に登ることのみに精神が集中している。
心が研ぎ澄まされ、
登り始めの時にはつまらない考えが頭を占めているのに
登るに従い、前向きの考えしか浮かんでこない。
やがて頂上に上り、下界を俯瞰したときそれが頂点に達し
法悦の状態になる。
これは禅定ではないか。
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ああ、一瞬でも空の心を感じることが出来た。
でも下界に戻ったら、また元に戻ってしまう。
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また、絵を描いているときには描くことに神経が集中し
時間の観念がなくなる。
過ぎ行く時間は確かにあるけど、
絵を描いているわしには時間はない。
あるけどない。
これって「空の心」ではないか?
これも禅定だと思います。
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絵に関しては一切の邪念はない。




剣道の稽古を肉体の極限までしたあと
面をはずし、目を半眼にして印を結び結跏趺坐する。
「黙想!」
心がからっぽになる瞬間が訪れる。
今思えばこれが「空」か。
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わしはこの瞬間が一番好きだった。
そこにはなにもなく、しかしすべてがあった。
剣禅一如とはこのことか。

このとき、もっともっと剣について
修行しておけば精神が少しは高みに行けたかもしれない。



釈尊は瞑想により仏陀になった。
座禅はその瞑想状態になるための行です。
臍下丹田に気を落とすことによる呼吸法で
脳内にセロトニンが分泌されて
心身ともにリラックスし、トランス状態に陥る。

しかして

単に座禅だけでは悟りは開けない。
日常的に勉強し、思索を深める下地をしっかり作っている。
更に座禅でトランス状態を作る。
そしてあるとき突然悟りがやってくる。
それはいつのことか、個人差がある。
大してしなくても大悟できる人もいるし、
何年修行しても何も得られない人もいる。


一休宗純は、
闇夜に湖に船を浮かべて座禅しているとき鵺の鳴き声を聞いて大悟した。
鵺は黒いから見えない。でも声は聞こえる。
あるけどない。ないけどある。

ここに至るまでには血のにじむような修行があったはずです。


さて凡俗の我々は大悟できればいいが
なかなかできない。
ですから一瞬でもいい。
トランス状態を得て
空になる瞬間を持ちたいものです。


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夢中になれるもの、目の前にあることに真摯に向き合っているとき、
一瞬でもトランス状態になって
空の心境になるときがある。
その経験を繰り返していくうちに「道」に出会う。
それによって認識力があがる。
少しでも悟りの世界に近づくことができる。
在家の優婆塞はこういった修行形態でいいのではないか。


それは芸術と向き合ってもいいし
スポーツの世界に熱中してもいいし
武道を修行してもいいし
人のために一生懸命奉仕するのもいい
仕事を極めるのもいい



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小難しい仏教用語をもてあそんで
「わしはこれだけ知っている」と得々として威張る優婆塞がいる。
ただの威張りたがり、目立ちたがりです。
何度も言うがそれは「知識」であって「智慧」ではない。
「智慧」は自分で考えなければ得られない。
また、行を行うことによって更に得られるものです。


いまわしが真剣に向き合うことが出来ること
それは絵を描くこと
お遍路をすること

これを真摯に続けていけば
精神性もあがっていく、かし。

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おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

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