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熊野古道巡り

家内がめずらしく海の日の後に2日ほど休みを取った。
「どこか行きたいところはないか?」
「う~~ん」
「四国とか・・・」
「絶対いや!」
「じゃ、熊野古道は?」
「あ、そこ行きたい!」
う~ん、四国も熊野も歩きなんやけどもなあ・・・
定年を控え、久々の夫婦旅行も兼ねて
ご婦人のための
熊野古道歩き&温泉&食いしん坊プランを練る事にしました。

7月22日(日)
この日は移動の日です。
5時間かけて移動し、南紀白浜温泉で宿泊します。
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おお、あれが円月島か!
観光写真通りの眺めですなあ。
しかし暑いね。
今日は海の日の連休中日、おまけに夏休みが始まった。
白浜シーサイドホテル」は楽しそうな家族連れで一杯です。
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この日の食事は海鮮料理がメインのバイキングです。
牛肉とビールのおいしいこと!
展望風呂も堪能しました。
もうここだけで満足の雰囲気になってしまいました。


7月23日(月)
さて本番の熊野古道
中辺路を14km歩きます。
このコースは初心者向けに優しい(といわれている)
歩きやすい(はずの)路です。
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熊野古道館には一人歩きの金髪美人さんがいて、
職員さん達は流暢な英語で案内していました。

そういえば近畿地方の梅雨が明けた、と報道されていました。
暑さには覚悟しなくては。

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まず最初は「滝尻王子」が目の前に見える。
この「王子社」は、熊野権現の子社で、
その昔京都から歩いて参詣してきた貴人の
休憩所とも補給基地とも、宿泊所とも解釈されていたみたいです。
京都から九十九あるそうなんですが、
明治になって廃れてしまい、跡だけ残っている所も多い。
(「九十九」とは、数が多いという比喩だそうだ)

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日差しが木の枝で遮られて暑くはないのですが
湿気が多少あり、おまけに登り坂のせいで汗が滝のように流れる。
初心者向けとはいっても、ある程度の覚悟と装備がいるでしょうねええええ。

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途中「胎内くぐり」なんかもあったが、
家内には狭くて潜れなかったようです。
安産のご利益があるそうですが
「わたしにはもう関係ないもんね!」

500m結構急な坂を登ったところに
「不寝(ねず)王子跡」がありました。
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こういったところにはスタンプ台が設置してあり
それぞれのポイントのスタンプがある。
スタンプラリー好きの家内は嬉々として押しています。
「ほんっとにスタンプラリー好きやねえ・・・」
「お父さんのお遍路の納経帳も、スタンプラリーやん」
「・・・・ま、まあ、そうやなあ」

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鬱蒼とした山道は、人の気配もない。
このあたりの山々は人の住むような場所ではないのでしょうか。
道が二股に分かれている。
「左の急坂を登れば展望台だって・・・」
「いこう!」
「え?フーフー言って登っているのに、急な方を登るの??」
「ええやん、行ってみような!」
(なんか積極的やなあ。日常のお散歩にも来ないのに)
急な階段をフーフー登ってみたら
展望のない展望台でした。おまけに木の葉で日差しが遮られていないので
めったやたらに暑い。

NTTの電波塔を目指して急な上り坂が続く。
金剛杖で家内のリュックを押しながら歩く。
人体の重心は尾骨のあたりにあるので、このあたりを押すと
押す方も押される方も、効率がいい。

梅雨が明けた途端セミがやかましく泣き始めた。
しかし、山一つ超えたらセミの声が聞こえず、
カッコウの声がのどかに聞こえてくる。
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途中の「針地蔵尊」
何が針なのか、由来が書いてあったかなあ?
見落としたか。

ずっと山の中を歩くと思いきや、
突然集落が見えてきた。
こんな山奥に人が住んでいるんやなあ。
いったい何で生計をたてているのかなあ??

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「高原熊野神社」
手水場の水道水は不味かったが、近くの湧水が美味しかった。
「高原霧の里休憩所」があり、トイレと自動販売機があるので休憩する。
昔は旅籠が軒を連ねていたそうです。

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ここからは、なんか不気味な看板が建てられていて
心して歩きなさい、と言われているようです。
初心者にはちょっとキツい忠告のように見えます。

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よく整備された石畳の道があるんですが
苔が濡れていると滑りやすいですね。
草鞋掛けの旅人ならば滑らずに歩けたのでしょうか?
父親が昔、鮎釣りをするのに草鞋を履いて滑りやすい川に入っていっていたなあ。

馬の背のような道を歩いていくと
「大門王子跡」に着く。
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かつては大鳥居があったのでこの名前がつけられたとか・・・。
若い娘さんが二人やってきた。
今日会うのは外人さんばっかりやなあ。
熊野古道は有名なんですね。さすが世界遺産!
「May I Take A picture?」
「Oh,Year!」
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1320
お腹がすいていない。
実は今朝ホテルのバイキングで食べ過ぎたのです。
家内はわしよりもたくさん食べていたので、更にお腹が張っている。
ですから非常食のカンパンやチョコレートの出番もなし。

歩きのペースも順調になってきて、最初に比べたら歩みも軽快です。
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「十丈王子跡」
数件の茶屋があった所だそうです。
それにしてもこんな山の上に茶屋を建てようと思ったら、
井戸がなくてはならんやろうねえ。

つづら折れの坂を登ると、今日の最高峰780m地点の上多話茶屋跡に着く。
ここでも茶屋の井戸はどこか?
探してみたがそれらしい跡もなし。
ここから路は下り主体になる。
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梅雨の名残かキノコがあちこちに出ている。
これは毒か?三体のキノコが色を競っている。

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「大阪本王子跡」
昔は「蟻の熊野詣で」と言われたほど沢山の人の参詣があったが
今は王子社の跡を示す石碑が残るのみ。

それにしても今日の中辺路は人の姿が見えない。
世界遺産に登録された頃は多くの観光客がこの路を歩いたんでしょうね。
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車の音が聞こえ始めてきた。
道路が近くにあるよ。
大きな駐車場のある「牛馬童子ふれあいパーキング」がある。
そおおかあ。ここに車を停めて有名な「牛馬童子」のみを見に来るんやね。
でも、ハイヒールでは1kmの山道を歩けはしないやろう。

先達さんらしき人に率いられた年配の婦人たちが危なっかしい足取りで
山道を歩いている。
多分牛馬童子まで行くのでしょう。
道を開けてくれたので先に行かせてもらう。
みんなかなり辛そうに歩いているよ。

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「牛馬童子」
花山法皇が修行している姿を刻んだものともいう。
実はわしもこれを見たかったんです。
でも路を歩いてたどり着く・・・これがいいんですよねえええ。
思いがけず小さいのに少し驚く。
これだけ小さかったら
頭を取って持ち去るような不心得者もいるのかしらん。
下手に世界遺産に登録されると、物見遊山の観光客がどっと押し寄せ
貴重な史跡にイタズラする愚かな行為が行われることを考えると
世界遺産登録の指定もどうかなあああああ、と思うよ。
四国巡礼路も世界遺産登録を目指しているみたいですが
やみくもに我も我もと登録を目指すのはどうかな?と思う。

1500
本日のゴールの「近露王子」着
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山道歩いて13.2kmの6時間の行程でした。
実は熊野古道館から近露王子まで車を回送してくれるサービスがあるのです。
6000円と少し高いかな?
と思うのですが日帰り歩きの人にはいいサービスですね。

ここから那智まで移動し、「ホテル浦島」に宿泊する。
ここは半島のような山の上に建っているホテルで、
付近に駐車場はなく、
少し離れたところからシャトルバスで移動し、
更に更に連絡船でホテルに上陸するところです。
やはり団体さんが山盛りで、台湾語も聞こえてくる。

ここのホテルの売りは、6つの大浴場です。
露天風呂や洞窟風呂廻りができる、大規模なホテルです。
それに館内のあちこちにお土産屋さんや食べ物屋さんがあり、
テーマパークのようなところですね。
夏休みの子供たちはこのホテルにエヒャエヒャ喜んで走り回っていました。
風呂巡りをしてスタンプを集めると景品がもらえるとのこと、
家内は張り切って巡っていました。
わしは・・・・汗をかいた二人分の服の洗濯の待ち時間を利用して・・・
6つ全部廻りました。


7月24日(火)
「さあ、今日も歩くかい?」
「うう~~~ん」
普段歩いていない人が急に毎日歩くと体調を壊すよ。
ですから今日はお寺巡りをしましょう。

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ホテルから連絡船に乗って帰るとき、
ホテルの従業員さんたちが手を振ってくれている。
家内はその光景にいたく感激していました。

今日はまず、熊野那智大社と青岸渡寺に行こう。
車で行ってもいいのですが、ちょっと歩こう。
大門坂の階段を登るコースを選びました。
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ふもとには、昔の装束で参詣できる貸衣装店があるのですが
この暑さ、借りた衣装が汗だらけになったら大変でしょうに・・・

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ガイドさんに案内してもらいながら登っていく人たちもいる。
漏れ聞こえてくる話では、ここの石段は世界遺産登録される前までは
苔むして誰も通らない状態だったらしい。

標高が高いし、朝なのでさほど熱くは感じないが、やはり汗は吹き出てくる。
1時間ほど登ったら門前の山道に着きました。お土産屋さんが立ち並んでいる。
ここは那智黒石の産地だそうで、碁石の黒石を売っている。
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熊野本宮大社は日程の都合上参詣できなかったが
熊野那智大社は無事参詣できましたがな。

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隣には那智青岸渡寺がある。
ここは西国三十三箇所観音霊場の第一番です。
遍路修行者の血がザワザワと蠢き始めた。
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ここまで来たら納経しないわけにはいかない!
ご本尊にご挨拶をして、納経所で西国用の納経帳を買ってしまいました。
ああ、この瞬間から西国三十三箇所廻りが始まってしまいました。

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そういえば那智の滝もここから眺望できるんやね。
記念写真スポットでは写真屋さんが待機していました。
暑い中ご苦労様です。

大門坂の昇り降りで結構汗をかいて疲れましたがな。
今朝も朝食のバイキングをたらふく食べたのでお昼の食欲は湧かず・・・
このまま本日の宿泊地である鳥羽まで一気に行く。

途中伊勢熊野高速道路が開通していて思ったよりもスムーズに鳥羽まで行くことができました。
今回のお宿は、ネット友達の「す~さん」が支配人をしている
「ホテル高砂」です。
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す~さんは地元の柔道連盟の偉い方で、
ホテル業と柔道の指導とを大車輪でこなすタフマンです。
今日の宿泊者は平日なのでわしたちのみ。
お風呂も貸切状態です。
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食堂も貸切状態で、伊勢志摩の海の幸のご馳走のお接待をたらふく受けました。
まだこのあとから次々に料理も出てきて、大満足です。
なぜかホテル内には柔道場もあるので、
柔道教室の合宿にはもってこいのホテルです。


7月25日(水)
今日は帰り道なんですが、
「伊勢神宮に行こうなああああ!」
と家内がねだるので、では行くことにしようかね。
ちょうど帰り道の途中なんで都合がいいですがな。

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新宮には、熊野速玉大社があるので寄ってみる。
セミの声が暑さを増幅しているような気がします。

さて伊勢に入った。
まず外宮を参詣する。
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式年遷宮を終えたあとで、まだ木が新しいね。
朝早いせいか、訪れる人もまばらです。

そこから5kmほど車で移動すると、内宮に着く。
さすがに参詣の車も増えてきています。
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休みの日だったらもっと混んでいるでしょうね。
間違いない、ここはパワースポットです。
信仰心のない人がここを訪れても、
何かしらの「気」を感じるかもしれません。
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家内が見学しているのは、
更にパワーを発する石なんだそうです・・・。

皇太子殿下が参詣されるとかで、
参道のあちこちでは整備をしていました。
この暑いのに大変ですねえ。

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お伊勢参りを終えたら、「おかげ横丁」です。
す~さんに教えてもらった「赤福氷」を早速食べる。
赤福餅が二つ入っていて、上品なお味でございます。
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今回車のトリップメーターは800kmを超えていました。
紀伊半島をぐるっと一周した感じになりましたか。
熊野古道は前から歩いてみたかったので、
部分的でも歩くことができて満足です。
家内は「全部歩きたい」なんて言っているが
高野山への道も含まれているのを知っていて言うのか?
行きたいなら連れて行っちゃろか?

そそそれより四国に行こうなあ。
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道隆寺前でもらったお地蔵様

歩き遍路さんをしていて、
77番道隆寺前でお接待で頂いた手作りのお地蔵さま。
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どうもわしには重い。

せっかく作ってくれてお接待に頂いたのに申し訳ないのですが
このまま家にちょんと置いておくのは重かった。

「どうしたらええんかいなあああ」
「山道に石像が沢山あるやん。そこに置かせてもらったら?」
「なるほど」
たしかにあちこちのお寺なんかには、信者さんたちが多分置いていったような
小さな石仏がたくさん置いてある。
その行為がいいのか悪いのか?何かお告げがあったらそれに従うことにしよう。

と、いうわけで
いつもの山に持っていくことにした。
どこに置くか?
そりゃ、77番道隆寺に置かせてもらうべきやろうね。

数珠とお地蔵さん持って行く。

登り道の途中、話し好きのおじさんにつかまった。
「その杖、大峰山のやつかいのう?」
「いえ、富士登山のやつです」
「おお、どこの登り口かいのう?」
「吉田口です。シーズンオフに登ったから・・・」
「ほぉ~・・・△□×※・・・□◇∀・・・」
(このあと長く続く)
その間結構蚊に喰われた。
しかし、
ここの八十八箇所巡りの石仏群は、
明治時代に設置されたものと教えてくれました。

もももしかしたら、この会話は
お地蔵様を安置しに行くわしに対して
お大師さまが語ってこられたのかな?
いやいや
何でもお大師さんに関連して考え過ぎかな?



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それはさておき
無事に77番道隆寺にお地蔵様を安置させてもらいました。
お経をしっかりとあげている間は、不思議と
うるさく寄ってくる蚊に刺されませんでした。
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あともうひとつ気になること。

山道には札所の御本尊様とお大師さまの石像がペアで
八十八箇所安置してあるんですが
46番浄瑠璃寺は一体足りない。
それに、本来ご本尊は薬師如来様なのに
これはどうみても不動明王様や・・・。
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隣の45番岩屋寺を見てみたら
あれ?
お大師さんが二体並んでいる。
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すると
浄瑠璃寺の薬師如来様を誰かが持ち去って
お大姉さんと不動明王様を入れ替えたのやなあ。
誰が何のために?
地元の人に訊ねてみたら、
ひとつ足りないというという事も認識されていなかった。

う~~~ん。
無くなった薬師如来様の石像をどうすっか。
お節介のしすぎはいかん。

「再建せよ」
というお言葉が降りてくるまでそのままにしておくか。








区切り遍路の総括

区切り遍路の総括

1年を通して歩きの区切り遍路をしました。
思いつくままの事を
お気に入りの写真と共に記してみました。
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「一番霊山寺までの道程が一番長い」と言われている。
確かにそうです。
「行きたい、けど○○だから行けない」
「いつか行きたい」
こう言い訳しているうちにあっという間に時は流れ
歳をとって身体が動かなくなる。
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四国には、お大師様に呼ばれて行くのだと思いました。
来るのを許された人なのでしょう。
どんな状況でも行くときは行くんだ。
これはわしの結論です。
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いつも登る地元の山道の落ち葉掃除をしている時、
路沿いに居る八十八人のお大師様はじっと見ておられた。
そしてある日
「お前はそろそろ四国に来い」
とお誘いを受けたのではないかと考えます。
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長年関わってきた「鯖街道キャンプウオーク」が終わり、
鯖親父さんから「次は四国ウオークをしよう」と
誘われたのがきっかけで、四国に来た。
しかし鯖親父さんが途中からこの企画を投げ出してしまい、
取り残されたわしが、独りで四国を歩き始めたのも
お大師様が「おまえは一人で歩け」
というメッセージだったのでしょうね。
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山道を登っている時には、ひたすら登ることのみに神経が集中しある意味禅定の気分になってくる。
しかし、長い道を歩いていると、実にくだらないことばかり頭に浮かんでくる。
煩悩の塊である自分に気づき、唖然とする。
一体何週四国を廻ったらこの煩悩から解き放たれるのか。
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★お大師さまを感じた(と、勝手に思った)こと。he-all-05.jpg

☆困ったとき、路を外れそうになったとき、お大師さまが地元の人達の身体を借りて
 助けてくれます。
 それも絶妙なタイミングです。
 昔、人が自分に忠告するとき、
 自分の指導霊が人の口を借りて教えてくれているんだよ、
 と言われたことがありました。
 まさにこのことはお大師様のお導きですがな。
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☆お接待を受けると、荷物が軽く感じることがよくあった。
 不思議なんですが、肩に担っている負担がなくなるんです。
 しかし数キロ歩いていくと、また重くなるんですけどもね。
 お接待の功徳のおこぼれを頂戴しているのだろうか。
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★考えが足りなかったこと。ああ、いかん。
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☆靴の調整に苦しんだ。
 ワンサイズ大きいものを選んだが、自分の足の特性に合った特注のものを
 買う、または作るべきだと思う。
 自分用の登山靴を作ってきた通し遍路がいた。
 多少高くとも自分用のを作るべきだと思うな。
 わしは足の人差し指と中指が若干長いため、爪が圧迫されがちで、
 山越えの後、何度も爪が内出血した挙句はがれた。
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☆春から夏に向けては通気性のよいジョギングシューズを使い、
 秋から冬はトレッキングシューズを使ったが、初期は足が慣れず
 靴擦れに悩みました。特に雨が降る日は靴下が濡れて悲惨になりました。
 そしてそして重要なのは靴の中敷きということに気づいた。
 これだけは値段をケチるといけない。
 靴の中敷にもお金をかけるべきでしょうね。
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☆雨着は最初、15年前にスキーのときに買ったポンチョを使用しましたが
 防水機能は既になく、防水スプレーも効果なくリュックの中身までもずぶ濡れになりました。
 そこでビニールポンチョを買ったのですが強度に問題ありで、
 脱ぎ着するときに引っかかって敗れてしまいました。
 最後にたどり着いたのはモンベルの登山用ポンチョです。
 値段はそれなりにしたのですが、やはり値段の分だけ信頼できる性能です。
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☆お接待を期待してしまいました。
 某お接待所が夏季に閉鎖されていた。
 勝手に期待していたわしは、閉鎖されていることに腹を立ててしまった。
 毒づいてしまった。
 ああ、なんと浅ましい自分だろうか・・・。
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★お四国はわしを包んでくれる
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☆雲辺寺から観音寺まで一緒に歩いたご婦人が
 「歩きながら物を食べるなんて、地元にいたら絶対にできないね」
 と言っていました。
 確かに地元では見苦しいと言われるような事ができる。
 でも旅の恥はかき捨てとも違う。
 心が縛られない。開放される。
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☆素のままの自分になれるのかもしれない。
 それって楽しいよね。
 社会での肩書きなんて一切通用しない。
 親としての務めも必要ない。
 ただ自分と向き合うことのみ。
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☆三島川之江IC付近で、お婆さんから冷たいドクダミ茶のお接待を受けました。
 「なんでお遍路をはじめたの?あ、聞いちゃいけないんだっけ」
 「いや、ただ・・・お大師様に呼ばれたから?」
 「えらい!」
 いや、別に偉いと言われるような自分ではありません。
 凡俗です。煩悩まみれの自分があなたのお接待をうけていいものか。
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☆出会った人とのお付き合いは、一瞬です。
 一緒に峠を昇り降りしたり、お酒を飲みながら語り合ったり
 もうこの先この人とは出会わないと思うと、
 寂しい気持ちや名残しい気持ちもあるが
 別れの潔さを楽しむ術も覚えました。
 却ってそのほうが思い出が鮮明になって残ります。
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一年を通して歩いたことにより
四国の四季を楽しむことができました。
春・初夏の阿波路、風が気持ちよかった。梅雨明けは蒸し暑くて参った。
盛夏・初秋の土佐路、台風に二度も見舞われたり、40℃の中脱水状態になりながら歩いた。
晩秋・冬の伊予路、紅葉を楽しんだのかどうか覚えがない。
冬・初春の讃岐路、雪の峠越えを断念したり、冷たい海風を受けながら歩いた。
いずれの季節もわしを黙って受け止めてくれた。
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「お遍路さん いまやスマホの 道しるべ」
ラジオで聞いた俳句です。
なるほど。わしもスマホのナビに助けられましたがな。
へんろ地図に自分の現在地を入れることができ、
正確な位置と道程を知ることが出来ました。
しかし、磁石を持っていなかったので方位違いをしたこともありました。
太陽が見えるときには天測ができたので大体の方位がわかったんですが
曇りの日に東西が逆になってしまいました・・・

え?スマホに磁石機能があったの?
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1年の区切り遍路を歩いて結願したが
自分が劇的に変わったなあ、と思うことはない。
まだ修行が足りないのやろうか。
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今後の展望
真念石の拓本を取ってみたい。
水彩画で札所のスケッチ旅行をしてみたい。
バスや電車なんかを楽しみながら歩いてみたい。
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久々の帰省(当分来ることはないだろう)

わしのお里である岐阜県関市に帰省してきました。

今回の目的は四国巡礼の際に頂いたご本尊の御影を額装してもらい
父親の叙勲祝いを兼ねて実家に持って行きました。
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認知症の進んだ父親には、
果たしてこの額の意味がわかっているのだろうか?
5日間滞在し、父親のお世話のお手伝いと
生まれ育った故郷をあちこち探訪してきましたがな。

父親の転勤に伴い、山奥の小学校を転々としていたので
結構廻るところは多い。そのほとんどは山の中です。

市町村合併でわしの生まれ育った岐阜県武儀郡は関市に合併されてしまい
「関市」はかなり広範囲に広がってしまって訳わからんようになっている。
旧、郡名や町名、村名を看板を見ながらたどっていく。

元号が平成に改元された時に話題になった「平成村」(本当は『へなり』と読む)
この近くでわしは9歳まで過ごしました。
26年も経つとすっかり平成村売店も廃れてしまい、栄枯盛衰を感じましたがな。
その代わり近くに道の駅ができていてそれなりに賑わっていましたが・・・
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遍路の修行をする前とした後では、神社仏閣や道端の祠や庵、地蔵堂に
つい眼が行きます。
あちこちで見かける幟旗などに心惹かれます。

小学校低学年の頃、遠足といえば「高沢さん」長い階段を登って山登りしたのを覚えています。
正式には大日山日龍峯寺(高沢観音)
ここが「美濃三十三箇所観音巡礼」の一番札所になっていることは知りませんでした。
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清水寺の舞台のような造りで、美濃の清水さんとも呼ばれています。
境内で、愛媛県宇和島から岐阜に来て40年の老夫婦に会いました。
わしは岐阜県を出て30年、故郷は遠くにありて思うものですがな。
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市内の有名なお寺を注意して見てみたら、
ここも札所になっている。
吉田観音
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関善光寺
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わしが通った関市の医療専門学校が大学になっていました。
それはともかく、大学の近くに「長峰大師堂」がありました。
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「中濃八十八ヶ所」の札所だそうです。
あちこちにこういった巡礼路があるんですね。
そのうちこういったやつを探訪してまとめてみたいっすね。

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ここまでお大師様が来たのか?
と思ったが、多分弟子の高野聖が日本中を廻ったのが
大師伝説に強引に結びついたのでしょう。

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円空上人がこの地で入定されたことは知らなかった。
入定塚を見てきました。
円空仏の展示もしている所があったんですが、そこは割愛しました。
実は円空仏を彫ってみたいという願望があるんですが
あれこれ手を出しすぎると収拾がつかなくなりそうなんです・・・。


神社仏閣廻りもよいけれども
美味しいものも食べたい。
関市は鰻屋が多い。
一説によると関市は刃物の街で、刀鍛冶が多かった。
体力を消耗するので鰻を食べて精をつけたそうです。
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高校の頃自転車通学をしていて、必ずここの鰻屋さんの前を通りかかると
うまそうな煙が腹にしみたものです。
写真の奥が霞んでいるのは鰻を焼く煙です。
この煙を胸いっぱい吸い込んできました。この煙だけでもご飯が食べられそうだなあ。

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さすがにうまかった。
関西風で腹開きをそのままカリッと焼いたのが香ばしい。
大満足です。

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次に満月焼き。関東では今川焼きというのかな?
ちょっとひとつ買う、といきたいが
父親の大好物なんで10個入りを買っていく。
皮に蜂蜜が入っていてとても優しい甘さです。

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それにそれに忘れてはいけないのは
味噌カツ
店を構えているところは大概おいしいです。
有名店は、日曜日休業とか、休み時間が長かったり
ちょっと驕っている店があるのが難点です。
愛知岐阜の人達は味噌カツがないと落ち着かないのでしょうね。

この先60歳になるまで当分帰省することはないので
気になっていた場所とか食べ物の探訪をまとめてしてきました。
ああ、満足でした。






プロフィール

おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

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