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てんやわんや!

てんやわんや
獅子文六 昭和23年~24年に毎日新聞に連載
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※「てんやわんや」とは、大勢の人間が自分勝手に振る舞い、混乱すること。

舞台は終戦から3か月後、戦犯になることを恐れた主人公が、
伊予の国相生町(愛媛県宇和島市津島町がモデル)の「相生長者」の食客として隠棲中に、
相生長者と個性豊かな取り巻き連中が織りなす田舎町の人間性や年中行事、
方言、ものの考え方などがのんびりと描かれていて、
南国伊予の人たちってこんなもんだろうかと考えてしまいました。
気侯も温暖で海の幸にも恵まれ、戦火の影響もなく、ゆったりとした風土は
戦争で荒廃した都会の人間から見たら桃源郷のように映るんでしょうね。

でも彼らからしたら、そこが世界のすべてで、東京と比べたってどうしようもない。
わしも岐阜県の山奥で産まれ、裏京都市に30年以上住んでいるド田舎者なんで、
東京や大阪のような都会は別世界です。
ああいったところは遊びに行くところであって、
住みつくところでは決してないと思っています。

物語後半では四国の独立運動についても書かれています。
井上ひさしの「吉里吉里人」よりも30年前にこういった物語があったんですね。

南海大地震をきっかけに主人公は東京に帰る決心をしてこの物語は終わります。
全体に流れる軽妙な文体で描かれているため、さらりと読ませてもらいました。

迂闇にもこの物語を知らなかったため、津島の町は遍路の途中に通り過ぎた町に
してしまいました。
事前に知っていたら、一層津島の町を興味深く探訪できただろうに。
残念です。
ま、こんなもんですけどもね。

今度行ったときにはせめて一日かけてここの町を楽しもう。
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お遍路さん(番外)札所0番

お遍路さん(番外)札所0番

久万高原の民宿桃李庵のマスターから、
お遍路用品で有名な「札所0番」が裏京都市にあるよ、と教えられてびっくり。
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調べてみたら、わしの家のすぐそばだった。
うう~む、迂闊であった。
さっそく参拝せねば。

1月25日(土)
0830
自転車に乗ってスタート
今日は珍しく青空の裏京都市です。頬をなでる空気が冷たくて気持ちいい。
細川幽斎の田辺城を過ぎたあたりの交差点で、見慣れた標識を発見
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ただこれだけのことなんですが、なんか感動しました。
歩き遍路をやっていなければ、このシールに込められた気持ちが
わからないまま、この街に住んでいたんですね。

この先にもシールがあるはずだ!
との思い込みは空しく、細い路地の先にある「花咲悠省堂」さんまでは
案内シールを発見できませんでした。
このお店がネットでは札所0番として営業されているのですって。
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ここ裏京都市には西国三十三箇所の二十九番松尾寺があり、
その関連が深いお店なんでしょうね。
お店のなかを参拝させていただきました。
通販が主のようで、ずらっと品物を並べているわけではないのですが、品揃えは豊富です。
額装の注文も受けています。
わしも満願になったら御影を額装してもらおう・・・
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こんな近くにお遍路用品のお店があるから、
必要なものはここで揃えたらいいんですね。
かなり得した気分です。
これもお大師さまのお導きでしょうか・・・・

お遍路の教科書

お遍路にのめりこむにつれて、色々勉強も進んできました。
あまり余計な知識は詰め込みすぎると、かえって邪魔になるんですが
お遍路経験を積んできて情報の取捨選択ができるようにもなってきました。
予備知識があってもなくてもお遍路さんは出来るんですが
訪れた場所に関する知識があるとなしでは感動の度合いが違うんじゃないかと
思うのです。

そこで、区切り遍路をする際に
参考にしている図書の紹介をしてみます。

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☆☆☆「四国遍路ひとり歩き同行二人」へんろみち保存協会編

これは歩き遍路のバイブルやろうね。
遍路道と宿泊施設、タクシーや交通機関の案内は
懇切丁寧です。
これがなければ歩き遍路はできないと言っても過言ではない。



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☆☆☆「四国八十八ヶ所を歩く旅」山と渓谷社
基本この遍路計画を参考にしています。
50日間で四国を廻れるように日程を紹介してくれていて、
1日平均25kmで8時間以内に納められています。
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だから、わしの歩くペースにとても合っています。
見どころの多い街なんかは、ゆっくり歩くようペース配分されています。



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☆☆「四国八十八ヶ所を歩く」山と渓谷社
これも前述と同じような内容ですが、
こちらは山と渓谷社だけあって目標となる地点間の
距離と、所要時間が示されているので、わしのように細かく
予定を立てたい者にはとても便利です。
ただ、ちょっと古いので休業された民宿の案内があるので要注意です。
この本は写真が美しい。



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☆☆「四国八十八ヶ所つなぎ遍路」家田荘子
極妻の作者である彼女は出家得度してからは厳しい行を己に課しています。
四国遍路はそんな彼女の癒しの意味もあるようです。
彼女も区切り遍路さんですので、細かに描写された遍路道や札所の様子が
勉強になります。
でも時々彼女の人間観察眼が厳しい場面も所々にあります。



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☆☆「あそび遍路」熊倉伸宏
元・東邦大学医学部教授の精神科医のお遍路紀行です。
精神科の先生だけあって、お遍路と宗教観、祈りの意味などについて
自らの遍路体験から、人間の深層心理に踏み込みながら考察されています。
わしにとっては、教えられることの多い本です。



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☆「趣味悠々 四国八十八ヶ所はじめてのお遍路」NHK出版
これはお遍路を始める数年前に買っていたのです。
半ば無意識に手にとって買っていました。2006年のことです。
このあたりからお大師さまに呼ばれていたのでしょうか。
お遍路にあこがれていた頃の気持ちを呼び起こさせてくれる雑誌です。



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☆「四国八十八ヶ所」るるぶ
これはですね、お遍路の予習用に買ってみたものです。
これはむしろ車遍路やバス遍路用のガイドブックですね。



歩き遍路案内
☆「四国霊場八十八箇所 歩き遍路の案内書」
これは老遍路さんが、歩き遍路さんのために自費出版されて
民宿などで無料配布されているものです。
貴重な意見や情報も盛りだくさんなんですが
遍路地図の間違いを細々と指摘していたり、
お宿の批判をしているところはいただけないなあ。
お接待に対する感謝の言葉を書かれているのが相殺されてしまいます。
ちょっと僻みっぽい人なのかしらん?
わしも僻みっぽい人間なんで、言いたいことはわかるがなあ・・・。

お遍路さん(その26)46浄瑠璃寺~51石手寺

46浄瑠璃寺~51石手寺

区切り遍路伊予の国 第2回 3日目

1月13日(月)
今日は三坂峠からの急な降り行程です。
膝をがっちりとテーピングしました。膝をやや曲げた姿勢で固めるため、動きづらく感じるが
下り道のためです。

0600
早い時間に朝食をだしていただく。さすがにお遍路宿ならではの時間ですね。
じゃこ天の朝食をいただく。宇和の海の名物だそうです。
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0635
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リュックには反射板、頭にはLEDライトを装備して、まだ夜も明けきらぬ久万の里へ出る。
三坂峠までの緩い坂道をライトの明かりを頼りに登る。
雪はザクザクに凍っているよ。

0707
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いよいよ峠道です。約400mを一気に下る。
ここは昔、久間の町と松山の物流のために開かれた道で、
「馬も馬子も泣く」かなりの難所だったらしいです。

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雪の積もっている道には、お遍路さんのでしょうか、足跡が点々と示されている。
みな松山の方向を向いているのかと思ったら、逆向きの足跡もあるよ。
逆打ちの人なんだろうか。それとも山歩きを楽しんでいる人なんだろうか。

雪に足を取られないように注意しながら歩いていく。
標高が下がるに従い、雪も減ってくる。
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突然視界が開けると、遥か松山方面の下界を望むことができる。
あそこまで降りていくんやね。

膝の具合に注意しているんですが、テーピングのおかげか、標高が下がってきたのか
あまり痛んでこない。
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地図に載っていない休憩所で、桃李庵で今朝貰った焼き芋を食べる。
ストーブの上でじっくり焼かれたサツマイモは甘くて美味しいなあああ。
糖分を食べると元気になるよ。

やがて山道が舗装された道に変わる。
急坂の場合、舗装されている方が歩きにくい。
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「坂本屋」に着く。
ここは江戸時代からの旅籠で、保存会の方々が休日にお接待しているらしい。
でも今日はお休みの貼り紙がしてあるよ。
いしだあゆみ主演NHKのお遍路ドラマでこんな雰囲気の善根宿を見たことがある。
もしかしたらここか?
どうなんやろう。誰か知っていたら教えてチョ。

更に道を下ると山あいののどかな村になる。
1月やけど、ああ、春の風景やなああああ。ほのぼのとした気持ちになるよ。
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「網掛大師堂」
大きな石があり、網をかけたような模様が表面にある。
お大師様が石を網に入れて運んだ、という言い伝えがあるそうです。
ん?これは何の暗示が含まれているのか?
治水のために石を運んだという意味だろうか。工事にお大師様が関わったということか。
最近お大師伝説を見ると、こういうことを考えてしまいます。

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バス停に、テントが貼ってあり「坂本屋」と幟が立っている。
もしかしてこれはあの坂本屋なのか?
と考えながら近づくと、テントの中の人が手招きしてくれる。
やはり坂本屋を運営しておられるスタッフの人たちでした。
今日は地元の駅伝大会があり、おしるこの振る舞いの準備中でした。
焚き火とお茶のお接待を受けました。

後で知ったのですが、ここの方の一人がお遍路ブログをされている方で、
わしはいつもお遍路に出る前に勉強させていただいているんです。
これもお大師様のお引合せか。
わしの写真を撮ってくれていました。自分のお遍路姿って、こうなんやね。
無断転用をお許し下さい・・・・

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お遍路紀にも書いてあるのですが、伊予の国に入るとお遍路墓が多い。
四国のどこの国にもお遍路墓はあるのでしょうが、こうやって大切にされているのが
伊予の国には多い、ということやろうか。
気候風土によるものなのでしょうか。讃岐に入ってみないとまだ違いを言い切れない。

0955
46番札所 浄瑠璃寺着 
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お天気のいい日の札所巡りは心が癒されるなあ。
本尊である薬師如来の別名、瑠璃光如来にちなんで浄瑠璃寺になったそうな・・・・。
今日は祭日でお天気もいい。
車遍路の人たちが昨日よりも多い気がする。
お年寄りが多いんですが、若いカップルもいるよ。
本堂にある売店に後ろ髪引かれる思いをしつつ、納経所へ。

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まだこのあたりの標高は高く、眼下に松山の町並みを臨むことができる。
果てしなくのどかだ。

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47番札所 八坂寺着
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46番から0.9kmしかないので、20分くらいで着いてしまった。
次の札所までこんなに近いのは、14番、15番の間以来だろうか。
山門から本堂までは霊場開創1200年記念の幟が賑やかにはためいている。
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広い境内は綺麗に清められている。
納経所でも「ここは近くていいでしょう」と言われ、
「まことにそうです。ありがたいですなあ」と答える。

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本堂の横には閻魔堂があり、地獄と極楽を見ることができるようです。
どどどっちかに入ったら、出られなくなるんかなあ。
煩悩の多いわしは、左側の地獄に入ってみる。
壁には地獄の絵が描かれているよ。無事通り抜けできました。
で、安心して次の極楽に入ってみたら、紫雲たなびく極楽の絵が描かれていました。
わしは極楽に行くことができるかな?

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門前のみかん無人販売では猫がニャイ~ンと店番をしていました。
年寄りのネコらしく、「キャ~、可愛い!」「あっ、ネコやあ~っ!」
との声にも悠然としていました。

ここからのどかな田園風景を見ながら歩く。
番外札所の文殊院徳盛寺がある。
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ここは四国遍路の元祖と言われる衛門三郎の邸宅があったと伝えられる地に建てられたそうです。
大師堂には大きな数珠がかけられていて、願い事を唱えながら回すと願いが叶うそうです。
わしもやってみる・・・。願い事は、秘密です。

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大きなお大師像が参詣者たちを見守る。
レリーフには衛門三郎出奔の図が刻まれている。
衛門三郎伝説については、調べるほどにその解釈が深まっていきます。

道行くと、「八塚古墳群」の案内板がある。
最初、その意味を失念していて寄らずに行ってしまいそうになったんですが
ふと思い出しました。
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衛門三郎の死んだ8人の子供を葬った墓が、文殊院八塚古墳群と呼ばれ、
田圃の中に並んでいる。
これは本当に衛門三郎の子供の墓か、それとも古代の豪族の古墳か?
わし子供の頃から古墳が大好きなんですよ。
円墳か?方墳か?形が崩れている。

古墳の事を考えながら更に進むと
札始大師堂に着く。
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お昼も近いことだし、ちょっとここで休憩させてもらい
昼食のマフィンとチョコレートを食べる。
ここの縁起が説明されている。
弘法大師を追い、家を出奔した衛門三郎がこの場所で弘法大師が宿泊した形跡を見つけて
自分がここに来たことを知らせるために札を打ち付けた所だそうです。
だから、「札始大師」
伊予に入ってからはお遍路の縁起について
大洲の十夜ヶ橋といい、文殊院といい、更に51番石手寺と
勉強になるところが多い。

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48番札所 西林寺着
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ここは川の土手よりも低いところにあるため、罪あるものが門を入ると無間地獄に落ちる、
という伊予の関所寺だそうです。

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本道脇にある
自然木をそのまま柱に使った面白い造作の地蔵尊

ここから次の49番までは、町中を進むことになる。
道には車道のみで歩道がない。車の通行量もかなりあって危険な場所だ。
遍路道が大きな道で寸断されている場所もある。

途中の橋の名前を見てみたら「遍路橋」と書いてあったよ。
どんな由来があるんだろうか。
門が見えてきた踏切近くで前から来た車が止まって中から
「どこから来たんですかいのう?」と声をかけられた。
「京都からです」
「それはそれは、ご苦労さまです。お気を付けて」
「ありがとうございます」

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49番札所 浄土寺着
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大きな仁王門をくぐる。
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ここは念仏聖といわれた空也上人が滞在したお寺で、
有名な空也上人立像があるところらしい。見ることはできなかったが・・・。
次までは1.6kmと割と近い。
このあたりから、一人のオヤジ歩き遍路さんと前後して歩き始める。

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50番札所 繁多寺着
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ここは高台にあり、松山市内を望むことができる。
そろそろ冬の日が傾き始めており、雲で太陽が隠れると急に寒く感じられる。
早く道後温泉に入って温まりたいなあ。

本堂、大師堂でのお勤めの際、人がいないときには大きな声でお経をあげている。
以前土佐で真言宗の若いお坊さんが朗々とお経をあげておられ、
よく通るその声に聞き惚れてから、わしもあんなふうにお経をあげたいなあ、
という思いがあった。
もそもそと、端折ったお経で済ませて納経所へ急ぐ車遍路たちを見ていて、
ちゃんとお経をあげろよ!と彼らを意識していたのかもしれない。

しかしお遍路の勉強が進むにつれて、ほかの人の邪魔にならないように小声でお勤めする
大事さにも気づくようになってきましたがな。

さあ、ここから今回の終点、51番まで2.5km、1時間くらいかな?
わしの歩くペースは、1kmを20分です。これは普通に歩く速さで、ほかのお遍路さんたちは
もっとスタスタと歩いて、早い。
別にどうでもいいじゃん、と思っていたんですが、
人と一緒だとその人のペースに巻き込まれることが多い。

繁多寺を出るとき、先ほどのオヤジ遍路さんは門の外でタバコを吸っていた。
彼はわしよりも歩くのが早いので、途中で追い越されるやろうなあ。
と思いながら歩く。50mくらい後ろから彼の鈴の音が聞こえてくる。
するとこっちも歩みが早くなってくる。
おい、こんなんでいいのかなあ。疲れるぞ。
まあいいや。次が今回のゴールなんやから。

結局途中で抜かれたんですが、わしのスピードも早くなっていた。
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眼前にあやしい山が見えてきた。

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51番札所 石手寺着
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おお~、着いた。30分ちょっとで着いてしまったよ。
門の脇にはお大師様に許しを乞う衛門三郎の像がある。

さて、前に書いたんですが衛門三郎について。
伝承によると伊予国荏原郷に住んでいた衛門三郎という強欲非道の長者がおり、ある日門前に来た
みずぼらしい托鉢の僧を追い払おうと、鉄鉢を叩き割ってしまいました。それは8つに砕けて
飛び散っていきました。その後彼の8人の子供たちが次々と死んでいき、
追い返した僧が弘法大師空海と知り、彼に懺悔するために後を追って四国を廻る。これが四国遍路の始まりです。
20回廻ったが出会えず、今度は逆回りしたんですが12番焼山寺の麓で病を得て倒れたとき
弘法大師が現れ、息を引き取る前に望みを叶えるとの言葉に
伊予の国史に生まれ変わりたいという願いを聞き入れ、石に「衛門三郎再生」と書き握らせました。
後に伊予の国司の息子がその石を握って生まれてきたので、その石を安置したのが石手寺だと
いうことです。
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さて、この物語、上辺だけ見ると因果応報の物語なんですが
罪なくして死んだ衛門三郎の息子たちはどうすればいいのか?
伊予の国司に生まれ変わりたいという高望みを叶えるなんてありえる?
という疑問が次々と浮かんできます。
これは何かの比喩なんでしょうね、と思います。

衛門三郎は長者とはいっても、日々の過酷な労働の中、
疲れ果てていて施す心の余裕を無くしていたのではないか。
その後息子たちが、はやり病で次々と死んでしまった(当時はよくあった)。
それで厭世観にとらわれ、家を捨てて放浪の旅に出た。
また、当時の空海は、長者である彼に、治水土木工事などの協力を求めて門を叩いたのではないか。
当時の世相から色々なことが推測されます。

昔からの言い伝えには、その背景の社会情勢や人間の考え方
伝えたい教訓や出来事を物語の中に織り込んで後世に伝えようとしてきました。
衛門三郎の物語には
遍路者(放浪する貧しいもの)には親切にしなさい、
己の罪を認め、悔い改めなさい、
輪廻転生の仏教の教え
が含まれているのかもしれません。

今日は衛門三郎の事を考えながら歩いていたので、つい話が長くなりました。
山道の両脇のお土産屋さんがわしを誘う。
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ここは道後温泉から近いので、観光客も多い。
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今日はお遍路さんの姿がほとんどいない。
お遍路姿のわしを珍しそうに眺めているよ。でも最近はこの姿に馴染んでいるので気にならない。

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ここは子安のご利益があるようで、若いカップルの姿が多く見られる。
つい若い女性に目がいってしまうのは煩悩の成せる技で、今のわしには問題は、ない。

納経所は売店脇にあり、お土産を求める参詣者でごった返しているよ。
なんとか彼らをかき分け、御朱印をいただく。
さあここまできたら、何か記念のものを・・・・
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名物「やきもち」だっ!
あんこの入った白餅と草餅が焼いてある。お土産にたくさん買っていきたいが
荷物になるので自分の食べる分だけ買う。
うん、おいしいね。

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やきもち屋の向かいに大きな女性の像が立っている。
なにかなこれ?
観音様?じゃないなあ。女神さまでもない。女性の像でしょう、多分

ここ石手寺は、広大な境内を持っており、なんか仏教のテーマパークみたいだそうです。
「あやしいお寺」という本にも紹介されていました。
本道の奥にも行ってみたいと思うのですが、もうタイムアップです。
またいつか来られるかな?

さて道後温泉まで1.3km
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国道をまっすぐに進む。道路の脇には、山頭火の句碑も建っている。
「分けゐっても分けゐっても青い山」
これは視覚的に優れた句だと思います。これはどこの風景を写したものでしょうか。
四国遍路の際の句でしょうか。

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道後温泉本館着 スタートから25km
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あああああ、やっと着いたあ。
予定よりもだいぶ遅れてしまったが、まあよしとするか。膝も痛まない。
標高がさがったせいか?高気圧のせいか?いずれにせよ、よかった。

これが道後温泉かあ。坊ちゃんが一等車に乗って来て入った温泉かあ。
坂の上の雲で、秋山真之が、のぼさんと入った温泉かあああ。
お宿に荷物を預けてから、早速来よう。

本日のお宿、玉菊荘はここから歩いて2分の近く。
部屋に落ち着き、膝にがっちり巻いたテーピングを剥がしたとき・・・
「あ痛っ」
皮膚が剥がれたよ。
テーピングというのは貼る時間が2~3時間が標準で
一日中貼るもんではない。
1×3cmくらいの大きさに2箇所皮膚がテープに持って行かれた。
一応手当はした。
しかし、温泉に入りたい、入れるかなあ。

400円払って温泉に入る。二階三階の休息所はいらない。
おお、ここが湯船か。映画のままだ。
そろりそろりと湯船に足を浸す。
(ああああああああああああっ・・・染みる)
湯で膝を勞ってやらにゃならんが、同時に湯で剥がれた皮膚が痛む。
苦し気持ちいいぃ~~~~~~~~(やけくそ)

ああ、気持ちよかった。

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さっぱりしたところで、温泉前のお土産屋街を冷やかす。
何か家にお土産を送らなくてはならない。
お酒がたくさん置いてある店を選んで入る。
「どぶろくか濁り酒は置いてあります?」
「はい、ありますよ。こちらです」
「辛口の濁り酒を欲しいんですが・・」
「え、え、あ・はい、はい。」(彼女の目が泳いでいる)
「ちょっと待ってください!」
お酒に詳しいソムリエーヌを呼んできた。
濁り酒は大体甘口が主で、やや甘口と、甘口の二種類を選んだ。
松山のと、西条のやつです。
これで家で待つ家内の機嫌がよくなる。

1800から、松山在住のマイミクさんがプチオフでお接待してくださいます。
路面電車で繁華街に行き、がっつり食べさせてもらいました。

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帰りに道後温泉本館を見たら、闇に浮かび上がった姿がとても幻想的で
千と千尋の神隠しの舞台になったことがうなずけましたがな。

翌14日(火)
朝0930のバスで一日かけて家に帰りました。
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昼の移動は久しぶりでした。
今回は多くの札所を打つことができ、それに冬の高原を歩くことができました。雪も少なく、
冬のお遍路としては順調な旅でした。
次回は仕事の都合で2月の後半です。

お遍路さん(その25)45番岩谷寺~久万高原

45番岩谷寺~久万高原


区切り遍路伊予の国 第2回 2日目


1月12日(日)
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0645朝食を一人食堂で食べたのち、まだ暗い久万の町中に出発する。
途中の於久万大師様に今日の山登りの安全祈願の挨拶をする。
今日は急峻の八丁坂越えにしようか、県道12号線に沿って登って行こうか迷う。
ふるさと旅行村を過ぎてから八丁坂への分岐点があるので、そこまで行ってから考えよう。

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悩みながら歩むわしを、あやしげな神様たちが迎えてくれる。右の二人は神様の眷属でしょう。
が、左の二人はどうみても置物でしょう。いや、美の女神様かな?

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このあたりでよく見る遍路標識に書かれた絵は好きやなあ。
連れで歩くお遍路さんの姿にほっとするよ。

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さて、八丁坂の分岐点に至る。
悩むだろうと思っていたが、跨踏せずに八丁坂の方に足が向いてしまう。山登りの性でしょうか。
もうこうなったら山道を楽しもう。標高570mから一気に865mまで登る厳しい坂となる。
おい、本当にこれはキツい坂やなあ。行者は楽でない道を選んで登ったと案内板に書かれている。

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あえぎつつ40分、峠の茶屋跡に着く。ここに茶屋があったのかああああ。
どうやって水とか日用品を運び上げたのかなあと考えてしまう。昔の人は大変だったんやねえ。

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視界が開け、遥かかなたに雪を抱いた山が見える。あれは石鎚山なんやろうか。
それとも別の山なんやろうか。休んでいると汗が冷えて寒い。
ここからしばらく稜線が続き、のんきに山道を楽しんで歩くことができるが、そこを過ぎると
石の多い滑りやすい降り道となる。膝をいたわりつつ、慎重に降りる。
降りも結構急やねえ。
山道では苔の生えた石を踏むのはタブーとされているが、
足元一面苔石だらけなんでどうしようもない。
悪戦苦闘して降りること1時間、ようやく「せり割り行場」にたどり着く。

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大きな赤いお不動様が迎えてくれる。

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おお~、ここが岩の裂け目の行場かあああああ。
ここを鎖にすがって登る修行場です。
入り口には鍵がかかっていて、「面白半分には登らないでください」と注意書きがある。
実際、ここから落ちて命を落とした遍路がいるらしい。
鍵は納経所で頼んで貸してもらうそうですが、登ってみたいのですが、膝と相談して
やめておくことにしました。
ここから明王様と童子様の像が沢山道なりに並んでおられる。
聞きなれたのもあるが始めて見る名前のもある。
大元帥明王様というのもある。
ひとつひとつ丁寧に拝みつつ降りていくと、やがて山門に着いた。

1056 45番札所岩屋寺着 スタートから9km
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ここの山門は山から降りてくる者が初めて通ることができるようです。

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本堂が案外小さいのは、岩山全体が不動明王のご本尊だからだそうです。
これは礫岩のようですね、大小の穴がたくさん開いている。
これらの穴ひとつひとつに意味があるのでしょうか。

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本堂横の岩屋のひとつに登ることができる梯子がかけられているが、やめておこう。

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建物の屋根が岩に食い込むような面白い造りになっている。
今日は連休の中日ということで、参詣する人がちらほらいる。
いずれも車遍路の人達です。
しかし、駐車場から本堂まではかなりの坂を登ってこなければならず、
息をあえがせてやってくる。

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参道わきには石仏群が見送ってくれます。厳かな雰囲気です。
ここ全体が霊場だからでしょうか。

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岩山と本堂の全景をなんとか撮影しようと、
立ち止り振り返りして試みたのですが
コンパクトカメラではこれが精いっぱいでした。
いずれにせよ、行場なんだなあと感じました。
参道にはお土産屋さんが並んでいる。わし、こういった風景大好きなんですよ。
余計な買い物をしないように我慢して通り過ぎようと思っていたら、
生姜湯の湯せんにつかまってしまった。300円
素手では、あっちっちなほどに熱い。
容器を手袋をしたまま鼻水を垂らしながらすすると、身体が温まってくるよ。

ここからは県道沿いに久万の町まで降る。

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途中、名勝の古岩屋公園がある。岩屋寺と同じく礫岩の山がそびえ立っている。
県道から遊歩道への分岐を入ると不動堂とか大師堂もあり、
正岡子規の句碑なども建っていて、長い降り道も単調にならずに退屈しない。

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なぜか四国の道の道標には石が積み重ねてあります。
わしも一口乗せてもらうことにしましたがな。

1456に久万の町まで降りることができました。
ここまでは予定通りです。
降りの緩やかな道で時間を稼ぐことができたようです。
「おぐま饅頭」という看板が昨日から気になって仕方がないが、余計な金と時間を
使わないように我慢、我慢

さてここから本日のお宿の桃李庵まで約5km、2時間弱かなあ。
国道は松山方面の三坂峠に向かって緩やかな登り勾配が延々と続いている。
今日一日の山登りで疲れた身体にはキツいなあ。
風景もあまり変化がないのも辛い。自分の歩数を数えながら歩くが、それすら疲れて続けられない。
心折れそうになった頃、三坂有料道路への分岐点に出る。
スマホのナビを見てみたら、おお、ゴールはもうすぐだ。
道の向い側に桃李庵への案内板がある。
看板からほんの少し行ったら、本日のお宿が見えてきました。

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1626桃李庵到着 スタートから24km
お宿の入り口はどこかな?探していたら焚火があった。
ああ、焚火って懐かしいなあ。温かみと、煙が子供のころの記憶を呼び覚ましてくれる。

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玄関を入ったら、薪ストーブがあるよ。懐かしいなあ。ほんわり部屋も暖かい。
ここはお遍路さんが自己資金で建てた純粋お遍路だそうです。

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部屋に通されてすぐに、生姜湯をいただきました。
身体が温まるなあ。何よりのお接待です。
お風呂を頂き、そのあとストーブの傍で民宿のマスターに色々なお話を聞かせていただきました。
お遍路さん経験者がやっている民宿は数えるほどしかないんですってねえ。
それに民宿の食事の豪華な海の幸は、お宿で調達するのが多いので料金を安く設定できるとか。

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今日は浜松からの区切りの方とわしの二人だけ。
夕食の時にマスターから日本酒のお接待をいただきましたがな。
山登りの疲れとお酒ですっかりできあがってしまい、この日は7時半に寝てしまいました。

お遍路さん(その24)突合~44番大宝寺

突合~44番大宝寺

区切り遍路伊予の国 第2回 1日目

今年初めの区切り遍路に出かける前に、民宿「桃李庵」のマスターから電話があった。
「こっち(久万高原の三坂峠付近)は、雪が10cm積もっているよ!」
「はあ、そうですか(こっちはいま20cm積もっているけどね…)」
「突合から左の鴇田(ひわた)峠遍路道へのルートは遍路道やから、
雪が積もっていると道がわかりにくいよ。農祖(のうそ)峠方面の右側に行って、
国道沿いに来たほうが標高も低くて雪も少ないよ」
「ありがとうございます。安全な方を行きます」
なんて規切な民宿なんだろう。お遍路さんには有り難い存在です。
では登山靴を履いていこうかね。それにスパッツは長い方を用意して…。

26年1月11日(土)
0514JR大洲駅に高速バスが着く。思ったほど寒くない。
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この先の内子行の便もあるんですが、生憎バスのチケットは売り切れていたので、
大洲からJRに乗って内子駅まで移動する。
まだ朝早いのに、高校生がちらほら乗っています。
土曜日の朝早くから、大変ですねえええ。

0613内子駅に到着する。ここからタクシーで突合まで行く予定なんですが、
駅前にタクシーの姿がない。あああああああ・・・しまったなあ。
ここがローカル駅だったのを忘れていたよ。
遍路地図に載っているタクシー会杜に電話する。まず内子タクシー。
出ないよ。
あとは大瀬タクシー。遠いが大丈夫かなあ?
これが駄目だと町営バスを0730まで寒い中待たなくてはいけない。頼むぞ!
コール1回で出た!ちょうどこちらに向かっているとのこと。ラッキー!
ややあってタクシーが着く。
思わず手を合わせたくなったよ。お大師タクシーと呼ばせていただこう。
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内子から突合まで20kmちょっと。
移動のための料金は高めだったが、まあいいか。

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雪景色ですが、雪国から来たわしの目には、それほどではない。
ここから左に行くと鴇田へんろ道
山歩きは好きなんですが、積雪の事を考えるとここはリスクを避けた方がいいでしょう。
では右の農祖へんろコースを行く。
といってもへんろ道ではなく、更に安全な国道沿いに行くのですが。

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行く手の山は雪を抱いている。寒そうやなあああああああ。
道の上の雪は除雪がしてあるが、日当たりの悪い道や、橋の上は凍りついていて危険だ。
通る車も徐行運転をしている。ちゃんとスタッドレスを履いているかな?
道は久万高原を目指して緩やかに登り勾配になっている。
わしとしてはこういった緩い登り道の方が好きです。
平地よりも負荷がかかって身体が温まり、汗ばむほどです。
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標高が寓<なるに従って積雪の量も増えてくる。
久万高原に引っかけてクマを書いた看板を時々見かけるが、
本当にクマがでるのかなあ?冬眠しているでしょう。

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時々遍路道に出くわすが、積雪の状況を見ながら行けるところは行ってみる。
登山靴とスパッツのおかげで問題はない。

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しかし、ここは無理という案内板が立っていると、いさぎよく諦める。
無理は禁物ですがな。

一旦標高600mくらいまで上がってから500mの久万高原まで降り道になる。
このあたりから、右膝が痛み出してきた天気も悪く、気圧がさがっているせいだろう。
それに標高も高いし、ダブルショックがわしの右膝を苦しめ始めた。
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峠のトンネル前の休憩所で痛み止めを飲む。こんなんで今回歩けるんかいなあ・・・
トンネルを抜けて久万高原に入ったら、雪が徐々になくなってきた。
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この湧水は雪が溶けた水なんかなあ。あまり冷たくない。外気のほうが冷たいくらいです。

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久万高原町に入ったら雪は全くなくなってしまった。それに山々にも雪がない。
なんだいったいこりゃ?
盆地を囲む山によって雪が遮断されているんでしょうか。
疲れてきた。膝の痛みと雪道のせいか。
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石柱がもう少しだよ、と教えてくれる。

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すると、山門が見えてきた。仁王様がいないので山門ではないかな?
ここから更に1kmくらい登ったところに本日の目的地がある。
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1508 
44番札所大宝寺到着スタートから21.1km
ああ~、最後の坂道が膝にくるなあ。
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大きな山門が「ようきたな」と迎えてくれるような気がしました。
夕方近い寺内を訪れる人はわし一人

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山頭火の句碑がある。
「朝まゐりは わたくし一人の 銀杏ちりしく」
わし山頭火好きなんですよねえええ。
できそでできない自由律句の世界

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お経をあげていると身体が冷えて手が震えきますが、お経を端折ってはいけない。
納経を終えて門前にお土産さんがあったので覗いていこうかな、
と思ったら電気を消して店じまいを始めていました。

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河原ではどんど焼きの準備でしょうか。大きな松の束が立っていました。
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町中にある於久万大師堂に本日の無事(?)のお礼をしました。

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今日のお宿は「やすらぎの里でんこ」です。でんことは、どてらの事です。
ここは、レストラン兼民宿のようで、夕食はレストラン側で食べます。
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お米は久万高原産でしようか、とてもモチモチでおいしく、
おひつごとお替りしてしまいましたがな。

大きなお風呂があるのが嬉しいです湯船で寝そべりながら頑張ってくれた膝を
労わりました。
今日は距離もそう長くなかったんですが、気疲れもしたんでしょうか。
8時前に爆睡してしまいました。

お遍路さん(その23)大洲十夜ヶ橋~突合

大洲十夜ヶ橋~突合

区切り遍路伊予の国 第1回 7日目

12月27日(金)
0600
今日のお天気は曇りの予報です。
朝食のパンを食べてオオズプラザホテルを出発する。
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永徳寺境内には通夜堂もあるようです。ちょっと覗いてみたら寝ているお遍路さんがいた。
寝心地よさそう。わしもこんなところで寝てみたいなあ。
この先の十夜ヶ橋の上では杖をつかない。
ここから内子の町に向かい、大瀬の町を経て久万高原へと至る道を昇っていきます。
今回の旅も最終日です。膝よ頑張ってくれたなあ。
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内子へと向かう山道は昨日の雨でぬかるんでいて歩きにくいよ。
なんか雰囲気の暗い道という印象があります。

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内子運動公園を抜けたところに地蔵堂がある。
なにか番号を振ったお地蔵さんがあるので、よく見てみたら「内子八十人カ所」だった。
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内子の町中に四国八十八カ所の写しがあり、ウオーキングコースになっているみたいです。
こういう「写し」は目本全国にあり、四国を廻れない人たちの信仰の対象になっています。
わしの町にも山に八十八カ所があり、時々巡礼に行っています。
ちょっとわかりにくい遍路案内に従い内子駅を横切り、市街地へと入る。
この町も昔の雰囲気を残した町並みが保存されている。

ここ内子町は、「どぶろく特区」だそうで、
酒屋さんの「試飲できます」の案内に、
ふらふらと店内に迷い込んでしまう。
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今回の旅の初日に三原村どぶろく特区を通らなかったことを後梅していたので、
内子ではもう後悔している暇はない!
甘口を一杯。「うまい!」「もう一杯!」
家に辛口と甘口を送ってもらうことにしました。うん、満足です。
ちょっと火照った身体で更に道をゆく。

店先に人形が見えてびっくり。「商いと暮らしの博物館」
通り過ぎるだけでは勿体無い町です。
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こういった楽しい街歩きは距離を感じさせてくれない。
やがて市街地を過ぎ、道の駅があるのでそこのトイレを使わせてもらう。
農産物の産直販売をやっている。かなり繁盛していますよ。
そこを過ぎると小田川沿いに山間の道を進んでいく。このままずっといくと久万高原に着く。
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この一見通夜堂に見えるのは町営バスの停留所です。寝ることもできるんやろうねえ。
停留所ごとにこの建物が建っている。
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なにやら気になる名前の店ですね。喫茶店なのだろうか?
よくわからん。そもそもお客さんがいるのでしょうかね?

トンネルを抜けると「お遍路無料宿泊所」がある。
中から人の声がしている。戸が閉まっているので中がどうなっているのか解らないので、
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ベンチに座ってリュックを降ろして休んでいたら、中から「どうぞ!」と
声がしたので失礼して戸を開けてみる。
中には布団が積まれていて、70代くらいの遍路さんらしいオヤジが二人
布団にくるまって声局にお喋りしていた。
「通夜堂ですか?」
「そんなもんじやないな」
「では善根宿?」
「それとも違うな」
(じゃあ何だっていうんだい?)
あまり目つき顔つきがよさそうに見えなかったので、早々に退散する。
戸を閉めた後も、公務員の共済年金が多すぎるとかなんとか怒っている声が聞こえてくる。
わしも将来共済年金を貰うんですがね。まあいいか。

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大瀬の町も古い街並を保存している。道沿いの家の佇まいも統一されている。
バス停のある広場にあるイルミネーションが面白い。
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夜になったらどんな明かりが灯るのだろうか。
ここは作家の大江健三郎の生家がある町だそうです。

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「仏岩」というのがある。川の浸食で岩が仏様の横顔に刻まれたそうです。ふ~~~ん。
このあたりでは川下り祭りが有名だそうです。今は冬なのでそれは見られません。
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大宝寺まで六里と刻んである。こういったものを見てしまうと、
もう一日程を延ばして歩きたくなってしまうよ。

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お遍路さん相手か、乾燥椎茸が一袋100円で売っている。これは迷わず買いだ!
家内にメールで報告したら、「あるだけ買ってきて!」と返事が返ってきましたがな。

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柿も売ってある。わしは柿が大好きなのでこれも買いです。食べながら歩く。
食べ過ぎるとお腹が冷えるが、1km歩く間に全部舎食べてしまった。

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「千人宿大師堂」ここはお宿なんだろうか。遍路案内にもお宿のマークがついている。
善根宿なんだそうで、千人宿泊させたことを記念して大師堂が作られたと某ブログに書いてあった。

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「楽大師」地蔵堂かと間違えそうになった。十夜ヶ橋で野宿したお大師様が、
ここの湧き出る水を飲んで楽になった、という由来だそうです。

1445
突合(つくあわせ)に到着 スタートから24km
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ここは街道が交わるところで、昔は栄えていたところだそうです。
ここにちょうど民宿が一軒あり、善根宿を利用しないお遍路さんは
ここに泊まって久万高原を目指すんでしょうね。
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1515に内子行の町営バスが出るのでしばらく待つ。
歩いているとそれほど寒くないのですが、ボーツと立っていると風が吹いてきて寒いよ~。

時間通りにバスが来たので乗り込む。
マイクロバスの乗客はわし一人
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1時間に1本運行しているんですが、採算は取れないだろうなあ。
1537に内子の駅に到着する。
帰りの夜行バスは2115に大洲を出る。
まだまだ時間があるので、内子にある龍王温泉に行くことにする。
小高い山の上にあり、歩いて行く気がしないのでタクシーを使う。
ここでゆっくり湯に浸かって一週間の疲れを癒す。
膝君よ、よく頑張ってくれました。
無事に歩き通せたのはお大師様のご利益でしょうか。
お遍路をしていると身体の調子がよくなるということはよく聞きますが、
わしもご利益にあずかることができました。
あまりの気持ちよさにボーツと湯に浸かっていると、
腰まである長い黒髪のおじさんが入っていた。
修験者か?ヒッピーか?よくわからんが、どうでもいいか。
風呂に入るときは眼鏡をかけていないので周りの風景はかすんでいる。
2時間くらいサウナに入ったり露天風呂に入ったりして時間をつぶしたのち、さてあがるか。
脱衣所で服を着ていたらさっきのおじさんもあがってきた。
彼の背中を見ると・・・ブラジャーの日焼跡があったよ。
眼鏡をかけていたんでくっきりと見えた。なるほど。長い髪ね。

内子駅から伊予大洲駅までJRで移動して、
2115発のバスを駅の待合室で待つ。暖房がないので寒いこと寒いこと。
本を読んでいても寒くて頭に入らない。ああ、やっぱり12月なんやねえ。
雪がちらついているよ。ありったけの服を着てもじっとしているので寒い。
冬のお遍路は止まっているときの対策が大事なんですね。


12月28日(土)
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翌日の午前中に裏京都市に帰り着いたんですが、雪が積もっている。
やっぱり日本海側やねええ。
その分寒いとはいっても四国は雪がない分、冬は過ごしやすいんじゃないだろうか。
26年1月は久万高原です。雪積もっているやろうかなあ。

お遍路さん(その22)卯之町~大洲十夜ヶ橋

卯之町~大洲十夜ヶ橋

区切り遍路伊予の国 第1回 6日目

12月26日(木)
今日は朝から雨だ・・・
ガラス窓を雨が叩く。
0600
さて出かけるかね。
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雨が降っていると地図を出して見るチャンスが少ない。
地形を頭にしっかりと入れておいたはず・・・だが
国道と遍路道の分かれ道では間違いやすい。
今日は国道をまっすぐに行くつもりです。

雨が降っていると写真もなかなか撮れないよ。
寒いと汗もかかないのでおしっこが近くなる。
そんなときに有難いのが遍路休息所です。
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0909
鳥坂(とっさか)峠は避けて鳥坂トンネルを通ることにする。
どうも雨の日はテンションが低くなって困りものですなあ。
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このトンネル、1220mもある。
しかし入り口に反射板を入れた箱が設置してあり、ここを通るお遍路さんの
安全を確保してくれています。ありがたやあああああ。

峠を降りたところに、
札掛大師堂がある。ここは是非尋ねてみたかったのです。
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標識を見落とさないように注意深く歩き、見つけました。
ここは無住で荒れ果てていたのを、お遍路さんが再建して新しい住職を迎え
再建したんですが、数年前にその住職も亡くなり、
また荒れ果ててしまった。門に懸かっていた鐘もない・・・
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再建の様子を勝手ながら引用させていただきました。
http://www.geocities.jp/shaktiyh/masaos/index2.html
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しかし、人が住んでいないとあっという間に荒れ果ててしまうものだ。
諸行無常です。

そんな感傷に浸りながら大洲の郊外までたどり着いたら
「臥龍の湯」という温泉があった。
「お遍路さん、足湯で休んでいってください」と看板がありました。
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おお、足湯!
冷えた体と疲れた足を癒すため、早速お世話になりますよ!
「おお~~~~」
足湯を楽しんでいると地元のご老人が来て、しばらくお話をした。
四国は3回くらい廻っているそうです。
それに、西国三十三観音霊場も廻ったらしい。
わしの地元の松尾寺とか天橋立の知恩院もよく知っているので
ちょっと嬉しい。
ついでにここで昼食のパンを食べました。なぜかお遍路中の昼食の定番は
メロンパンとアンパンです。無意識に買ってしまうのは
歩きに糖分を必要としているからなのかなあ?

1240
大洲の駅に到着
ここは今回の帰りのバスに乗る場所なんで、バス乗り場と発車時間を確認する。
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ひなびた駅前は、わしの地元を連想させられて、少しむなしい。
もう少し商店街が賑やかだと気持ちも上向きになるんだがなあ・・・

このあたりから手袋に雨が浸みてきた。
登山用の防水なんですが、完全防水というわけにはいかないなあ。
しかしこのために手が凍えるようなことはない。

大洲駅から今日のゴールの十夜ヶ橋のある永徳寺まで3kmくらい。
1時間なんですが雨が降っていると長い・・・長く感じる。
幸いに郊外型店舗が国道沿いに並んで賑やかなので退屈はしない。

いいかげん疲れてきた頃、
1342
番外霊場永徳寺着 スタートから25km
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ここはお遍路さんの聖地とも言われている。
修行中のお大師さまが、この地で一夜の宿を請うたところ
すべて断られ、しかたなくこの橋の下で夜を明かした。
寒くて寒くて、それに橋を行き交う人の杖の音が気になり眠れず、
一夜が十夜にも感じたそうで、十夜ヶ橋と名づけられたということです。
それでお遍路さんは橋を渡る時杖をつかない決まりができました。
「お大師さんが寝ておられるから」
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橋の下にはお大師さまが寝ておられる。
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ふとんをかぶって爆睡しておられる。
橋の欄干にも寝ておられる。
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しかし千年前からここ大洲の人たちは「大洲の人は情がない」と言われつづけたのでしょうか。
ちょっと気の毒な気がしますがな。
どれほどの人達がその悪評?をなくそうとお遍路さんたちに親切にしつづけたことでしょう。
お大師さん、許してやってよ。

永徳寺の道路を挟んで向かい側にある「十夜ヶ橋食堂」でうどんをいただく。
寒い身体に熱いうどんは美味しいね。

本日のお宿のオオズプラザホテルは、永徳寺から500mくらいのところにある。
大きなホテルですが、採算とれているんかなあ?
1450に着いたのですが、入れてくれました。
今日濡れたものを乾かし、隣のコンビニに行って明日の朝食と昼食を買い込んできました。
ここのお風呂はユニットバスなんですが、寝そべって入れるくらいの長さなんで
ゆっくりと休めました。

お遍路さん(その21)41番龍光~43番明石寺

41番龍光~43番明石寺

区切り遍路伊予の国 第1回 5日目

12月25日
0546
昨日買っておいたパンで朝食を済ませて、さあ出発です。
膝に湿布をしてサポーターで固める。足の裏にはマメ予防のテーピング
膝の調子もこのままいけば大丈夫か?
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暗い街の中を進むとき、遍路標識を見落とさないように細心の注意して歩く。
今日は札所が3つある。目的があると張り合いがあるね。
三間町に入り、田園地帯をまっすぐに進んでいくと、

0825 
41番札所 龍光寺着
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神仏混淆の様子がよくわかるお寺です。
ここは山門の替わりに鳥居があります。
階段を登っていくと左に本堂、右に鐘楼、まっすぐ登ると稲荷神社があります。
久留米の彼女が先について納経をしていました。
昨夜は素泊まりの遍路宿に泊まったそうです。もう2,3日居たいような
いいところだったそうです。
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朝早くだし、お遍路シーズンオフなのでわしと二人分のお線香しかない。
龍光寺から次の仏木寺まで2.8kmです。
こんなに次の札所まで近いのは久しぶりです。約1時間かな?
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遍路標識ではなく、地元の看板に沿って歩いて行ったら
どっちにいっていいのかわからない場面に再三出会う。
どうもこの標識は判りにくい。
どんどん訳のわからない山道に誘い込まれていくような気がする。
そして、急に案内板がなくなっている。
ええ~?
仕方が無いので最終兵器スマホのナビを起動させる。
ああ、やっぱり遠回りしている。
そのまま国道を辿ればよかったんだな。
ここでイライラしてはいけない。心落ち着けて歩く。
すると遠くに屋根の宝珠が見えてきたよ。ほっとする。

0954
42番札所 仏木寺着
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遠回りしたような気がするが、まあこんなとことでしょう。
先に行ったはずの彼女も道標に惑わされたらしい。
わしはナビで修正したが、彼女は道行く人に聞いたそうです。
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ここは茅葺きの鐘楼が特徴的です。
納経を済ませてちょっと一服していたら、
60台くらいの歩き遍路オヤジが来た。今回久しぶりにオヤジ遍路を見たよ。

ここから次の43番明石寺までは歯長峠480mを越えなくてはいけない。
毎日一峠越えですね。
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このあたりの道は石畳で整備されている。
石畳の道は歩きやすいことを目的とするよりも、道が崩れたり荒れたりするのを
防ぐのが主目的なんじゃなかろうか。
でこぼこして却って歩きにくい。それに降りはすべりやすい。
この遍路道は国道と交差しながら峠へと向かっている。
峠の手前で遍路道への入り口を見落としてしまった。
仕方ないなあ、歯長隧道を行くとするか。
峠にある見送り大師を見たかったが、まあいいだろう。

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ところどころに見える遍路道標も、半ば埋もれてしまったものもある。

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山道を降りた所に休息所と歯長地蔵堂がある。
その横に「へんろ墓」もある。昔は遍路道沿いに行き倒れた遍路の墓があったが
道路工事などで撤去される運命にあったものを、こうして一箇所に集めたんでしょうね。

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道引(どういん)大師堂
下川(しとうがわ)部落に古くから草庵霊場として祀られているが、由来は
詳らかでない。願いをかけると色々導き助けてくれる霊験ありと尊信を集めていると
「へんろみち保存協力会編:解説編」にある。

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「ドウドウ川」という名前に、わしの故郷に百々目木(どどめき)という地名があったことを思い出した。
日本のあちこちにこういった名前はあるようだ。「水音のしきりに高いところ」という意味で
「どど」は、水音を表す擬音語。「めき」は、その感じ、様子のあることをいう。
このドウドウ川は、そのまま擬音が名前になっているようだ。

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休息所にある道中安全見守大師さま。
お大師像の前では「南無大師遍照金剛」を唱えるが、唱えず合掌だけで通り過ぎる時も
ある・・・まだまだ修行が足らんなあ。
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更にお大師さまとお地蔵さまが迎えてくれる。
ここで道向かいに停まった車からご婦人が走ってきてミカンのお接待をいただいた。
合掌でいただく。
甘いミカンなので、つぎつぎと食べる。
あっ、しまった!納め札を渡すのを忘れていた。

ここの土地は道行く子供から大人たちまで、お遍路さんに挨拶をしてくれる。
特に子供達の元気な挨拶には、こっちまで元気になるよ。
挨拶って大事やねえ。

1407
43番札所 明石寺着
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ここは小高い丘の上にあるお寺なので、山奥に来たような気がする場所です。
ここから今日のお宿まですぐなんですが、
まだ時間も早いので、ちょっと門前の売店に寄ってみる。
昼食をまだ食べていなかったので、何かあるかな?と聞いてみたら
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卵かけご飯定食があるので、それを頂く。300円
今朝お寺で飼っている鶏が産んだ卵だそうです。

帰りの山門で高校の体育会系集団に出会った。
みんな体育会系の挨拶をしてくれるので、こっちも体育会系で挨拶を返す。

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さて旅館のある卯之町へ入る。
この街も古い街並みを保存しているのがわかる。
幕末に高野長英がいた隠れ家もある。
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人形屋さんかな?
飾り付けが綺麗です。

1515
本日のお宿に到着 スタートから27.4km
富士廼屋(ふじのや)さん。
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久留米の彼女と今日は同じ宿です。部屋の準備ができるまでしばらくロビーで待つ。
明日は大洲まで行くそうです。
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ここも古いお宿ですね。こういったお宿は、城之崎温泉で泊まったことがある。
昭和初期という雰囲気でしょうか。
明日の朝食は7時からだそうなんで、早出のわしは朝食を断って
近くの駅のコンビニに行って買い物をする。
夕食まで十分時間があるので入浴と洗濯を時間をかけてする。
コンビニで買ってきた雑誌を読んでいると
別の個室に案内されて夕食になる。民宿だと宿泊者が一同に会して食事をしているので
旅館の個室で一人の食事は少し寂しい。
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ここの食事も豪華です。
お刺身がカキ氷の中に入っているよ。
それに朴葉に乗せて焼く鴨肉
お米も地の物で粘り気があっておいしい。
今夜も食べ過ぎてしまいました。

お遍路さん(その20)津島~宇和島(番外龍光院)

津島~宇和島(番外龍光院)

区切り遍路伊予の国 第1回 4日目

12月24日
今日は宇和島の街をゆっくり見物する日程なので、歩く距離は短い日です。
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さすが聞きしにまさる三好旅館、朝食も豪華です。
まさか朝からメロンを食べられるとは思いませんでした。
0645出発
結局早めに出発してしまいました。女将さんが笑顔で見送ってくれる。
この街も古い面影を残していて、できれば半日くらいかけて見物したい街です。
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この岩松川は、天然記念物のオオウナギ生息地で有名のようです。
昨夜の夕食のウナギがそれか!・・・わけないよね。

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松尾トンネルの入り口横には無料宿泊所がある。よく整備されているよ。
壁画が面白い。
中を覗いてみたら、最近宿泊者があったような雰囲気がする。

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さらにその先の遍路道を辿って峠に向かう。
今日の登りは150mです。
毎日峠越えがある日程ですね。雨が降らない峠越えは景色を楽しむ余裕があって楽しい。

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峠道には道標と塩ビパイプに入ったお地蔵様がいる。
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切り通しの峠の向こうに休息所の屋根が見える。
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ここの「わん屋」は、てんやわんやから取ったネーミングなんやろうね。
天井のうねうねした木は、オオウナギをイメージしたものだそうです。

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降り道はいきなり深い草に覆われた。
自分の背丈くらいのウラジロを見るのは初めてです。
腐海に迷い込んでしまったような気がします。

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ふもと近くで気になるスローガンが目に入る。
悪代官様かあ・・・こう表現すると代議士もかなりイメージダウンやね。
遍路道の文化遺産登録の動きがあるが、実現させるためには
街道の整備が大変でしょうね。

遍路道は国道と合流して街道沿いはにぎやかになってくる。
少し雨がパラつくが、西の空が明るいのでいずれやむでしょう。
傘をさして歩く。
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このへんでよく見かけるようになったのは宇和島闘牛のポスター
そうか。聞いたことがある。宇和島は闘牛が盛んなんやなあ。
それにしても四股名が面白い。
いかにも強そうな名前とか、宣伝そのものといった名前もある。
迫力あるんやろうなあ。一度見てみたいです。

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もうすでに宇和島市街に入ってしまった。かなり早くついた。
街中を歩くのはあまり好きじゃない。
アスファルトの地面は膝に来る。
それに歩道を行きかう人も多く、なんかせわしない。
遍路標識を見失わないように注意して歩く。市街地は遍路標識が少なく
見落としがちになるからだ。

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馬目木大師がある。
ここも地元の人たちに大切にされている雰囲気のお堂です。
それに宇和島の街中のあちこちに、史跡文化財を示した看板が立てられ、
わかりやすい。

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商店街に入り、ふと前方を見ると宇和島城の天主が見える。
いいねえ。お城の見える日常の風景って。
わが町の自慢があるという感じです。
向こうから幼稚園の団体さんがやってくる。
「こんにちは~!」
「こんにちは!」
「あ、おぼうさんや!」
「はい、こんにちは」
子供達と挨拶をかわすのは楽しいですね。

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宇和島駅近くに番外札所の龍光院に行く。
すっかり晴れた青空の下、階段を上る。
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途中にあった修行大師さまの目が怖い・・・
日差しが暑いくらいのいい天気です。境内のベンチに座ってお昼のパンを食べる。
しかし太陽が雲に隠れると、とたんに寒く感じる。やはり冬やね。
30分くらいベンチでボーッとしていたんですが、その間にも巡礼者が何組か来る。
いずれも車遍路です。

龍光院を後にして、
1230宇和島駅前の宇和島ターミナルホテルに到着する。 スタートから15.0km
まだチェックインには早いので、荷物だけ預かってもらい、宇和島市内観光に行く。

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駅前通りから続くアーケード街がある。
今日はクリスマスイブで、クリスマスソングが流れていて、
飾りつけも賑やかなんですが、シャッターを下ろした店も多い。

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通りにあるクリスマスツリーには、ミカンが飾ってある。
さすが愛媛は宇和島のツリーだ。これ食べられるのかな?
果物屋があったので、家に送るミカンを買って発送してもらった。
早稲完熟というのが甘いそうです。
ミカンは木からもいですぐは酸っぱいから、
早稲を完熟させたやつが今一番甘いそうです。
岐阜県の実家にもひと箱送っておきましたがな。

次に宇和島城にも行って見ました。
平山城なんで登りやすいかなと思ったら、階段がきつい・・・。
150mくらいは登ったんじゃないかな。結構疲れた。
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頂上広場には三層の天主だけが残っている。
なぜかカップルが目立つ広場でした。今日はクリスマスイブだからかな?

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宇和島の町並みが一望できる。
宇和島伊達氏の居城として長い間この地を治めていたんですね。
伊達政宗の弟が兄弟げんかの末に
この地を拝領したことを大河ドラマで見た覚えがある。

さて下界におりて町並みを歩いていたら、
こんな張り紙があったよ。
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よほどネコをここに捨てにくるんでしょうね。

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お風呂やさんがあった!
ホテルのお風呂は足を伸ばして湯に漬かれないので
頑張って歩いてくれた足のケアのために入ることにする。
まだ時間が早いのでお年寄りが多い。
映画「テルマエ・ロマエ」のような雰囲気です。
電気風呂もあるよ。入ると痺れるかと恐れていたが、そんなんでもない。
しかし、電気風呂に隣接する普通風呂に浸かりながら電気風呂にひょいと手を入れたら
ビリッと痺れたあああああ。ああびっくりしたあ。交流電流が流れているんやな。

ゆっくりと湯を楽しんでいたら1500のチェックイン時間を過ぎていたんで
ホテルに行って部屋に落ち着く。
ベッドにひっくり返って植村さんのエベレスト登頂番組を見ていたら
いつの間にうとうとして、起きたら日が暮れていた。
駅のコンビニに行ってお弁当を買ってきて
食べたらまた寝てしまいました。
プロフィール

おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

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