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横須賀生活の総括その4

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わしは絵を描くのが好きで、特に習ったわけではないが落書き程度の絵なら得意です。
パソコンを使うようになってからはフォトショップでCGを描いて楽しんでいました。

それのごく一部を仕事で使うと、結構重宝がられていましたが、
かえって煩わしい事にもなったものです。
仕事以外のプライベートでは、似顔絵を書く事で人間関係の潤滑油にもなりました。
ご存知おきらく道場のキリ番CGなんかでも楽しんでもらえました。

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わしの好きなタレントの大堀恵さんもよく描いていました。

下世話な分野では、
”さる”お店の女の子達の似顔絵を書いてあげること。
まずコースターにちょっと描いて印象付けておいて、
そのあと本格的に描いてプリントしてきて渡してあげると好感度が200%アップし
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楽しくお酒を飲むことも可能でしたよ。
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まあ、これはあんまりチョーシに乗っているとトラブルのもとになるので程々にしておきましたが。

あとは美容院で担当だった子にも描いてあげました。
20日おきに通っていたから結構常連さんでしたねえ。
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でもいくら美人でもスタイルがよくても
描きたい人とは別で、特に因果関係はなかったなあ。
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横須賀生活の総括その3

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わしの趣味はプラモデル作りです。
子供の頃から作り続けていて、高校を卒業する頃からマニアックな道にのめり込み始め、
AFV(軍用車両)を中心に百台以上の模型に囲まれて楽しんでいた。
故郷を離れて今の職場に入るとき、自分の部屋が消滅するために
涙を飲んで全て処分してきた。
結婚してからは、家内から模型作りを禁止されてしまい、不満がたまったものだ。
女性から見るとプラモデルは「臭い」「散らかる」「場所がない」らしい。
禁止されてはいても、模型屋の前を通りかかるとフラフラ入ってしまい、
陳列されているのを眺めているうちに意識が飛び、
気がついたらレジの前でお金を払っている・・・
かくしてわしの部屋には作っていないプラモデルの箱が積み重なっている。

そんな20年以上溜まったフラストレーションが、
単身赴任となって無聊を囲う環境下で炸裂した。
横浜のある街角で、タミヤの看板を見つけた。ついフラフラと入ってしまう。
そこは規模の大きい模型専門店で、かなりマニアックな模型も山積みにされている。
一日見ていても飽きないなあ。
つい買ってしまったよ。
それは、今まで買ったことのないジャンルのやつ。
「紅の豚」に出てくるサボイア戦闘艇ですがな。
「これはどんな色で塗ったらいいんでしょうねえ?」
「そりゃ、イタリアンレッドでしょう!」
「じゃあ、下面は?」
「う~~ん、やはりタンでしょうな!」
小気味のいい会話に酔いしれる。
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夢見心地で模型と塗料を抱えて京急電鉄に乗って巣に帰る。
おっと、途中で筆も買わにゃなあ。
20年の空白を経ての模型工作で指が震える・・・ことはないが
老眼が目にしみる。
石坂浩二主催の模型クラブ「ロウガンズ」の意味を痛いほど理解できる。
そしてそして筆の種類がもう少し欲しい、
ヤスリも欲しい、精密ニッパーも欲しい・・・
欲しいものはどんどん増えていく。
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若い頃に作らなかった1/72の航空機、アメリカ海軍機を作ってみる。
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1/35スケールでも作らなかったやつを中心に作ってみる。

横須賀に小さな小さな模型店があるのに気がついた。
そっと入ってみる。
70台後半かなあ、親父さんが出てきた。
箱絵が日焼けした珍しい絶版品が置いてあるので、それについて話てみたら、
親父さんの話が止まらなくなった。
模型を愛しているんだなあ。
小気味のいい会話(聞くのが大半だが)をしていると、
おかみさんがお茶を出してくれた。
こんな模型店、いいなあ。
いつのまにか1時間以上話していた。
箱絵が日焼けしていたJS-2と塗料一揃えを大事に抱えて店を出た。
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またちょくちょく来よう。

横浜の模型専門店でエアフィックスのヘルダイバー艦上爆撃機を買ったら、
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模型展示会のチラシをくれた。
見ると、おお、横須賀で同好の士が集まって展示会をしている。
ジャンルはさまざま。
軍港横須賀だけあって艦船の模型が主流だ。
「おおなみ会」だそうです。
開催日にさっそく行ってみたら、結構盛況ですがな。楽しいなあ。
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こういった会があると趣味の幅や人間関係も広がるだろうなあああああ。
帰ったらわしもやってみようかな?

気がついたら1/35の戦車2台、1/72の飛行機が4機、まだ作っていないのが2箱・・・
引越しの時どうしようか。
ま、その時はその時だい!
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横須賀生活の総括その2

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今回の転任は、一言で言えば助っ人です。

わしの行った先は深深度潜水が人体に与える影響などを研究及び深深度潜水員の教育を行っている、
研究&教育機関です。

施設が老朽化したので、30km先にある場所に新しい施設を作って移転する計画なんですが
もろもろの理由で4年以上計画が遅延していて
もうこれ以上遅れるわけにはいかない、ってんで
人員を増強して全力で移転作業を行うことにしたのです。

そこには医務室もあり、もちろん診療も行う。
高気圧酸素治療という特殊な治療を行う施設なので、引越し作業中といえども
潜水病とか一酸化炭素中毒の患者さんが発生したら対応しなくてはならない。
これも結構負担でした。

これまた5年くらい計画から遅延していた「30年史」の発刊も何故かわしに任され、
赴任したてで右も左もわからん輩に何故任す?
とぼやくことしきりであったが、なんとか発刊できた。
おかげで勉強になりました。

後ろ向きの仕事も与えられました。
多額の借財を抱えた人間の借金返済計画も頼まれた。
この手の汚れ仕事は若い頃から散々経験してきたので出来ないことはないが、
まさか横須賀にきてまでこんな仕事が廻ってくるとはおもわなかったがね。
結構この手の仕事をやったことのある人は少ないんやね。

いわば30年間で培ってきた知識の集大成というところか。

裏京都市にいると、わしは既に最高齢の最先任者となっていて、
アホな言動ができなくなってしまい、結構辛かった。
みんなのお手本にならなくてはいけないし、周りもそれを期待している。
しかし、横須賀にはわしを知っている人はいない。
そのおかげで素の自分をさらけ出すことができて、
アホな言動全開バリバリで楽しかったなあ。
格好をつける必要が全然ないのは有難かった。

居住環境は
まず気候がよかった。
三浦半島の突端の久里浜は、黒潮の影響を受けているのか、暖かい。
ハイビスカスの木が根付いているのには驚かされました。
空気もカラッとしていて洗濯物もよく乾く。
青空が多いのも気持ちよかったよ。
裏日本に住んでいると、こんなところがありがたい。

久里浜は、ペリーが黒船を率いて上陸した土地だそうです。
上陸記念碑が建っている。
浦賀が半島の反対側にある。
幕末の歴史的な風物が多い。
横須賀の街は米軍とその家族が沢山いるので
他の町と雰囲気が違う。
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とくに「ドブ板通り」はアメリカの飲み屋街みたいで、よく通った。
多少治安の悪いときもあるのが玉に瑕・・・
ハロウインやクリスマスなどでは賑やかさが違う。
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横須賀っ子は、一生横須賀から出て行かないそうだが、なんとなくわかる。
b01横須賀中央駅前の「Yデッキ」

横浜、東京へは京急電鉄で一直線なんで、行きやすい。
しかし調子に乗って行き過ぎると電車代が馬鹿にならないよ。

と、いうわけで
三浦半島は住むにはとてもいいところです。
でも地震が怖いが・・・。

横須賀生活の総括その1

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人生で初めての単身赴任生活を経験した。
別にとるに足らない経験かもしれないが、この経験を書くことによって自分を見つめなおす機会に
なったらいいなあ、と思いしたためてみました。

-横須賀への道のり-

50を超えて単身赴任の話があったときは正直ショックでした。
わしは管理職といっても別にエリートじゃないのだから全国区ではない。
このままの場所で定年まで・・・と思っていたのだ。

3月の初めに中央から転任の打診があり、「8月に横須賀はどうか?」「はい、行きます」
何故か躊躇なく返答をしてしまった。
これには訳がある。
実は都会の生活に憧れもあったからだ。
20代の頃に4ヶ月ほど横須賀で教育を受けていた。
そこでその時結構楽しかったから、
横須賀、東京での生活に対する漠然とした憧れがずっとあった。
しかし実際にそういった機会がなかったために、
特別意識することなく30年近く田舎暮らしに浸っていた。
今回突然転任の話が舞い込み、それを嫌だと思わない自分の心の動きを
自然と受け止めていました。

さてそれからが大変だった。
(もしも異郷で事故なんかで客死したらどうなる?)
身の回りの片付けから始まった。
わしの部屋(陣地)に溢れかえる「物」の整理だ。
若い頃から集めに集めた趣味の書籍の整理をしなくてはならない。
杞憂に過ぎないのだが、何故かやらねばならないと思ったのだ。
そろそろそんな時期に来ていたのかもしれない。

捨てて悔いのないものは潔く捨てる。
捨てるか捨てまいか迷ったものは捨てる。
半端でない量なので、捨てた痕跡を残さないため、シュレッダーを使った。
それも職場のを業務時間外に、こっそりと・・・
これは残しておきたい!と思ったものは、スキャナーで取り込みデジタル化した。
これ結構面倒くさい。
高画質で保存したいやつばかりなので、処理時間も遅い。
そして、デジタル化が終了したら、シュレッダーに・・・・・
外付けハードディスクの大きいやつを買ってきた。領域はみるみる埋まっていく。

その地道な作業を続けていたら、23年3月11日がやってきた。
天地鳴動さあ大変だ。
デジタル化どころじゃない。
家にも帰れない状態になった。
そりゃそうだ。このために我々の組織は存在しているのだから。
それからは文字通り不眠不休で働き続けた。
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6月、ようやく我々の任務は落ち着きを見せて日常を取り戻した。
さて作業の再開だ。汗をかきかき黙々と作業を進める。
その努力の甲斐あって6月一杯で作業が終わった。やれやれ。
これでどこでも行けるぞ。
すべては外付けハードディスク様に収まった。
いずれいつかやらにゃならんかった事なので、いい機会だったなあ。

引越し荷物は・・
さてそれが問題だ。
娘と息子が大学に行っていて、それぞれアパートの部屋に住んでいる。
新たな家具を買う必要が出てきた。無駄だなあ。
単身赴任とは無駄の塊と見つけたりか。
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幸いにわしの愛車ダイハツデルタ号の車載能力は半端じゃなく、
衣服、布団、食器、テーブルなどを積み込み、更に
自転車まで積み込むことができた。
冷蔵庫、洗濯機は向こうで買うことにする。

さて8月1日、いよいよ新任地に出かけることにする。
もともと長距離ドライブは好きではない。面倒くさいなあ・・・と思いつつ
650km、10時間の道のりの遠さにためいきをついた。
朝8時半に皆の見送りを受けて出発!
旅のお供は眠眠打破
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オーデイオから流れる曲に合わせて大声で歌いながら眠気を覚ます。
どこまで続く高速道路・・・富士山も雲がかかって見えない。
いい加減退屈しきってきた頃に厚木~横浜 もうすぐや。
夕方6時を過ぎた頃、やっとやっと新任地に到着した。

ここで宿舎に入居するはずなんですが・・・
前入居者の退去後のクリーニングと検査が終了していないので、しばらくは入居できない。
で、病室の個室を借りてそこに住むことにした。
こういうところは医療機関っていいねえ。

一週間くらい病室に住んでいたら、夏の休暇になったので入居しないまま家に帰ることにしました。
家に着いて2~3日逗留した後、荷物を再び積んで横須賀へ・・・
家内も手伝うと行ってついてきた。
横須賀見物が目的の一端であることは、言うまでもない。

宿舎は2LDK、単身赴任には十分な広さだ。
入居作業は荷物が少ないのであっという間に済んだが、とにかく暑い。
引越し作業が済むか済まないかのうちに、あちこち家内を連れて見物をしてきた。
見物というよりも美味しいものを食べる。
家内は2泊し、すっかり満足して帰っていった。
横須賀名物海軍カレー!ドブ板通りのカレー屋さんです。お腹いっぱいになったよ。
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三浦半島で獲れた新鮮な魚介類を載せた海鮮丼 数量限定で1300円!
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横浜中華街へも行きました。
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さて、これから単身赴任生活を謳歌するか!
プロフィール

おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

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