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身障者西海岸ツアー05

bart
 艱難辛苦の果て、無事にバークレー行きの「BART」に乗り込む。乗ってしまったら後はもう降りるだけ。窓の外は暗闇ながら見慣れない景色が続く。いつの間にか海底トンネルをくぐって対岸へ着いたようだ。アナウンスを聞き漏らすまいと全身を耳にして乗ること15分、ダウンタウン・バークレー駅(だろうな)に到着する。

 もうここではエレベーターの乗り降りも慣れたもので、いっぱしのサンフランシスコ市氏の気分になっている。
地上に出た。太陽がまぶしい。さて自分達は今どこにいるのだろう。現在地を確認しなければならないが、道にはストリートとアベニューの表示がない。そこでドクターKが原始的な方法で確認した。すなわち、太陽の位置により東西南北の特定を行い、たぶんあっちだろう、ということで目指すバークレー校への道のりを推定した。たぶんそのうち着くでしょう。

barkley
 日本のように整然と整備されていない道路は工事中と見間違うような雑然さだ。このへんがアメリカ的というべきか。盲人のOさんが、デコボコの道路を指して「盲人用のプレートがある!」と嬉しそうに叫んだが、多分それは違うだろう・・・とは言えなかった。

 多分これは大学の外周だろう・・・一行はそこに沿って歩くこと20分、構内正門付近に主催者Sさんの姿を見つけた時、「遂にたどり着いた!」と張りつめていた気持ちがどっと緩み、今度はお腹がすいてきた。時計を見れぱ12時を回っている。ホテルをでてから3時間あまり経っている。しかしこの体験は貴重な体験となった。

 大学構内食堂で超巨大夕一キーサンドイッチで腹を満たした後、Msヤスモトを講師に迎え、約2時間に渡りアメリカにおける障害者の生活について講話を聴く。話の内容は興味深いもので、質疑応答の時間をもう少し多くとってもらえれば、より日米の比較検討ができたのではないかと思った。

 午後3時に次の目的地のラスベガスに向かうために、サンフランシスコ国際空港へ向かうバスのなか、ガイドさん達は皆福祉に関する自らの考えを熱っぼく語っていた。
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身障者西海岸ツアー04

9月28日(月)

 今日はアメリカでの障害者運動の発祥の地となったカリフォルニア大学バークレー校を訪問し、同地における障害者の現状・生活等についての研修を行う予定になっている。
 前夜、スタッフミーテイングの前に、主催者のSさんがわしを呼ぶ。嫌な予感を感じつつ、話を聴いてみると、「ホテルからバークレー校まで市バス、地下鉄を乗り継いで行く行動体験を、数人の障害者と共にしてくれないか。」と相談された。少し(かなり)不安はあったが、でも何か面白そうなので引き受けることにした。車椅子・盲・難聴と介助者併せて8人での大冒険。本当に本当に無事ゴールまで行き着くことができるのだろうかという気持ちは拭いきれなかったが、救いは医療スタッフのK先生(以下「ドクターK」)が同行してくれるということが心強かった。彼は京大の脳外科医です。

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 朝食はホテルのビュッフェでアメリカンスタイルでした。これなら前の人の真似をしたら食べられるので、なんとかみんな朝食をクリアーしたみたいでした。朝9時にホテルを出発していざバス停へ。ここが始発らしい。しぱらくして2両連結のバスがやってきた。まず車椅子を先に乗せてもらい、次に盲人、介助者が乗り込む。皆一様に1ドルの運賃を払ったのだが、後で考えてみると少なくとも車椅子の人は無料らしい。まあ1ドルくらいは授業料と思えば安いかな(?)

 バス車中では見知らぬ人が車椅子の固定をしてくれて、さすがアメリカと実感した。そんな中、車椅子のYさんは早速隣の席の老人となにやら語り合っている。彼はただ者ではない!
 バスに乗ること10分、めざす地下鉄の駅前でバスを降りる。さて地下鉄の駅は・・・と周りを見回すとエスカレーターの入口はあった。しかし身障者用のエレベーター乗り場がない・・。道行く人に「SUBWAY」の身障者用入口を訊ねても理解してくれない。そこではっと気がつき、「BART」と訊ねたらすんなりと教えてくれた。サンフランシスコでは地下鉄は「SUBWAY」でなく「BART」なんだ!

 身障者用のエレベーターは、後で増設されたらしく、道の向かい側、少し判りにくい場所にあった。エレベーターに乗り込み、ボタンを下へ・・と思ったら「C」「P」訳の分からないボタンばかりで、しぱらくエレベーター内で無駄な時間を費やしてしまったようだ。

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 なんとかチケット売場のあるフロアーにたどり着いたら今度は料金表示が判らない。区間料金制のようであるが、どこまでが1区間までか、めざすダウンタウン・バークレー駅までいくらかかるのか結局人に尋ねたら90セントだそうだ。1ドル入れたらカードが出てきておつりがない。何じゃこれは?と色々皆で検討した結果、そのカードは次も使えるカードで、料金不足分は清算機で払うシステムらしい。

 切符を買ったら今度は車椅子用の改札口の使い方が判らない。ドクターKが使い方と場所を訊ねてきてくれた。改札をくぐると、駅構内に降りるエレベーターは改札の外にある。車椅子だけ改札を逆行してエレベーターを降りる。これだと健常者は、このシステムを悪用してキセル乗車できるんではないだろうかと考えてしまった。こんな事を考えるのは日本人だけだろうか?アメリカ人の公徳心はハイレベルなのかなー、と考えてしまった。

身障者西海岸ツアー03

9月27日(日)日付変更線を超えたので、まだ27日なのです。


 お尻がゴワゴワになりかけたエコノミークラスの17時間の旅ののち、時差を超えて降り立ったサンフランシスコ国際空港は、暑いというイメージを持っていたんですが、まず肌寒さを第一印象で感じた。空も曇っているし、やはりエルニーニョ現象は世界的規模なんだなという実感だった。

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 まずはバスでテレビ塔のある山へ。サンフランシスコが一望の下に跳められる観光スポットヘ到着。そこで眼についたのは移動売店。アメリカ駄菓子やジュース、ハンバーガーなど目に鮮やかな商品が詰まっていて、なかなか楽しい。「こんなとこで買わなくても他で買えるよ!」とガイドさんに言われたんですが、ついついハーシーズのチョコレートを買ってしまう・・。やはりギブミーチョコレートはハーシーズでしょう。
 

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 そしてサンフランシスコといえばゴールデンゲートブリッジ。ゴールデンという名がついているのに、実際は赤井錆止め塗料の塗られた巨大な橋だった。
早速仕事が入る。ツアー一同の記念写真撮影。うまく写っていなかったらどう言い訳しようかと考えながらシャッターを切った。うまく写っているかな??

 そしてフィシャーマンズ・ワーフのピア39へ移動。ここはかの有名な監獄島、アルカトラズを展望できる観光地で、色々なショップが建ち並び、なかなか賑やかで楽しかったが、まだまだ旅の初めなので、無駄遣いはすまいとウインドーショッピングだけで我慢することにする。
 正直なところ、何を買っていいのか訳わからんものばかりだったのです。

 旅の第1日目はフィッシャーマンズ・シェラトン・ホテルに宿泊した。障害者の人たちにとっては初めての海外旅行の人が多かったので、初日の夕食には皆、かなりとまどっていたようだ。
 外食をしたいがそれをする勇気がなく、部屋で食べるためのパンを買い込んでいたり、ホテルのレストランに入ってみたものの、メニューを見ながら悪戦苦闘している姿があちこちで見られた。
 私は車椅子の人3人とホテルのレストランで「サンフランシスコ・ビール」を飲みながらニューヨーク・カットのステーキでディナーを楽しんだ。その後、車椅子のFさんの入浴介助のお手伝いに行く。さすがに障害者用の部屋だけあって入浴も障害者が使いやすいようになっている。

 最初の日の滑り出しとしては好調でした。今回の部屋割りは、同行の医師のK先生とずっと一緒の部屋で、色々なことを語り合いました。


身障者西海岸ツアー02

9月27日
関空~飛行機

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 平成10年9月27日(日)午前11時30分に、丹海バスで「身障センター向日葵」を出発した。関西国際空港まで約3時間の旅である。
 途中、サービスエリアで休憩がはいり、昼食をとる。1個75円のコロッケがおいしかった。舞鶴道から中国道へ入るが、意外に空いていて予定より早めに関西新空港に到着する。ここで合流する数名を加え、総勢36名のツアーを結成した。
 今回は空港での目由時間はほとんどなく、トイレを済ませたのち、搭乗手続きを済ませ、機内へ。今回は車椅子常時使用者が3名いたので、介助者併せて6名は搭乗員ゲートから通関する。なぜかここの職員の機嫌が悪く、案内のガードマンとか介助者にキツい言葉を投げつけていた。これがアメリカだったらどうだったろう・・。

 搭乗の飛行機はユナイテッド航空で、当然アメリカの航空会社である。ということは乗務員の大半はアメリカ人で日本人の乗務員はクミコさんという方だけだった。
 でっかいボヨヨンボヨヨンなアメリカ人パーサーに今回の障害者ツアーの構成、人数の説明を求められ、私は脂汗をたらしながらブロークンな英語で説明した。・・・が、充分こちらの意志が伝わったのだろうかと少々不安になり、私の語学力の低さに改めて呆れた次第だった。

 エコノミークラスでの約10時間のフライト中は、狭い・退屈の二本立てで、といっても眠れもせず、映画が退屈を少しは紛らわせてくれた。何だったっけな・・・確か「ロブ・ロイ」だったかな?
しかし、空の旅が初めての方達は多少興奮気味で楽しそうに語りあっていた。


身体障害者アメリカ西海岸ツアー

ずいぶん前から自分のやってきたことを記録に残しておきたいと考えていました。
親子の柔道、鯖街道キャンプウオーク
これらは既に旧HPやブログで紹介してきましたが、もうひとつ私のした大仕事は
「身体障害者アメリカ西海岸ツアー」です。
ここで福祉の大変さを嫌というほど学びました。





-序章-
旅の始まり
1998-01

 平成8年頃はアマチュア無線にハマっていて、夜な夜な無線機の前にしがみついてラグチュー(無駄話)を繰り返す日々でした。凝り性なんで、無線機とかアンテナ、周辺機器なんやかんやで、結構お金をつぎ込んでいたっけなあ・・・。

 無線仲間に、身体障害者の方がいて、毎晩他愛もない話を電波に乗せていました。そんなある日「裏京都市主催の障害者アメリカ西海岸ツアー」に行くのに、ヘルプが必要なので、手伝ってくれないかと頼まれました。

 親兄弟親族に頼めばいいんでないの?と思ったんですが、障害者施設に入居している方々の生活環境とか人間関係っていうのは、傍で考えているよりも複雑で難しいのかも知れない。なにしろ身体障害者の面倒をみながらの外国旅行なんて想像もつかない。家内に相談したら「行ってみたら・・・」何事もチャレンジの精神で引き受けることにした。かくして7泊8日のツアーに介護ボランティアで参加することにしました。

 想像するよりもそれは過酷な旅行で、身体障害者と24時間寝起きを共にしてお世話をすることの難しさを実感し、併せて自分の人間性の限界も感じ、途中血圧も上昇し、心身ともに疲れ果ててしまった。もう二度と行くもんか!と思ったが、しかしなぜか達成感というか、高揚感を感じた不思議な旅行でもあった。

 もう2度とこのようなキツいイベントは実現しないだろう・・・と高をくくっていた私だったが、参加できなかった障害者の皆さんの熱い想いが、「身障者アメリカ西海岸ツアー・パート2」を実現させた。前回お世話をした障害者の友人は2度目は参加しないので私にはもう無関係だと思っていたが・・・

 ある日、主催者の方に「医療スタッフで手伝ってもらいたい。」と真顔で言われてしまった。熱意を持って困難な事業を行う人に頼まれると「いやだ」とは言えない私・・・・結局自腹を切って2度目のツアーのお手伝いをすることになった。医療スタッフがメインとはいえ、2度目の私は実質上の「何でもスタッフ」で、頭を使う仕事、口を使う仕事、力仕事、ちょっぴり医療・・・気分的には余裕はあるものの、やはり不安は拭い去れない。

 以下、私が旅行後に文集用に書いた7泊8日の悪戦苦闘の旅行記を紹介します。
プロフィール

おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

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