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私と鯖街道(その12)

2009

存続の危機

2009年に政権が変わり、その余波が鯖街道にも押し寄せてきた。鯖街道
開催の生命線である「子ども夢基金」が事業仕分けの俎上に上がり、真っ先に
切り捨て候補にあがってしまった。問題は事業の内容よりも天下り役員の貰う
報酬に問題がありのようだと思う。鯖街道をはじめ、次世代を担う子どもたち
の育成のために一生懸命真面目に事業をしている団体にとっては死活問題とな
った。
「あんまりじゃないか!」「ひどい!」「おかしいよ!」「こんなのない!」
そう、最初は情緒でいい。しばらくは感情をぶつけたらいい。
でも、そのあとどうするかが問題です。前に進むためにはどうしたら・・・。
まず、鯖街道をやるかやめるか。できたらやりたい。無理してもあと2回はや
りたい。そのためにどうするか。鯖親父さんと私は考えました。みんなも考え
てくれたはずです。
 新たなスポンサーを求める、アフリエイトを使って資金調達をする、参加費
だけで節約する。みんなで鯖街道について自分のこととして考えてくれたはず
です。忘年会とか新年会、Mixiなんかで活発な議論がかわされるかと期待しま
したが、案に相違していまいち反応がありませんでした。少し残念な気持ちで
した。若者は鯖街道の存続を期待していないのかな?
 鯖街道の灯火を消してはいけない!と考えるのは一部の年寄り軍団だけだっ
たのでしょうか。自分達で何とかしようと思う若者は最早鯖街道にはいなくな
ったのだろうか。

鯖街道は若者が若い情熱を持って開催していくというのは、年寄りのセンチメ
ンタリズムだろうか・・・・
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私と鯖街道(その11)

sabaoyaji


明日に向かって

 鯖親父さんが泣かせた子供たちは、確実に成長している。彼は実に子供たち
の心の琴線に触れるのが上手だ。
 鯖親父さんは65歳を境に鯖街道を引退するつもりで、去年あたりから徐々
にその意志をスタッフなど、周りに漏らし始めていた。気力体力の限界を感じ
始めてたからだろう。組織の力を借りず、徒手空拳でこの種のイベントをこな
すのには苦労が耐えなかったのだろう。徐々に彼の精神と肉体は蝕まれてきた
のだ。ここまで来れたのは奇跡に近い。

 よく彼は私に対して、「自分の引退後は鯖街道を引き継いでほしい。」と言
う事があったが、私は頑として拒み続けてきた。なぜか?答えは明白である。
私を含めて鯖街道に集う者たちは、鯖親父さんを慕って集っているからだ。一
人一人が直接鯖親父さんと繋がっている。その人柄を慕い、手弁当で協力を惜
しまないのである。かくいう私も、鯖親父さんに誘われてから鯖街道にどれだ
け注ぎ込んでいるかわからない。男が男に惚れるとはこのことだろうか。理屈
抜きだ。

 おそらく他の連中も金銭では到底購えないほどの何かを鯖親父さんと鯖街道
をやることによって得ていると思う。そんな関係の中、精神的主柱である鯖親
父さんが抜けた後、ただの枝葉でしか過ぎない私が鯖街道を引き継いでも、今
の連中は集まってこないだろう。『こんな簡単な事もわからないのか!もっと
自分を知れ!』とその都度彼に向かって叫んできた。

 そんな問答を繰り返すうちに、2009年の鯖街道を迎え、そこで我々は、
確実に次世代が育ちつつある足音を聞いてしまった。今年の参加者はどこか違
う・・・高校生は大学生のレベルに、中学生は高校生のレベルに、小学生まで
が一段高い視点を持ち始めていたのだ。鯖親父さんが過去に泣かせた子供たち
の成長は著しかった。自分を認めてくれた、褒めてもらえたといった嬉しさで、
感動で泣いた経験は、彼らの心を確実に成長させていたのである。

私と鯖街道(その10)

IMG_5685.jpg

始まりと終わりの新年会

 でもこのまま鯖街道やめるにも、私の愚痴、言い分を直接聞いてもらってけ
じめをつけよう。すべての始まりの小浜市内で二人だけで新年会をしよう。そ
こで終わりにしようと提案しました。鯖親父さんの奥さんは「おやっさんと新
年会するならお金を出してあげるから行ってきなさい。」と言ったそうです。
いつもは飲み会のお金は出してくれないそうです。長男君は、一緒に飲みたい
と言ってくれたし、次男君は料理屋を紹介して予約してくれました。親父さん
ファミリーは本当にいい人たちばかりです。

 結局場所は大阪の北新地のさる料理屋で、鯖親父さんに延々私の愚痴、思い
を聴いてもらいました。今まで自分の胸でわだかまってきたことを初めて声に
出して聴いてもらった時、いくらか胸がすっきりしました。その頃合を見計ら
い、鯖親父さんが私の鯖街道復帰を口にしてきました。その時点で、前に進む
勇気が湧いていたのですが、いくつか条件を出しました。

 鯖街道に集う小粒な若者達は、世の中で自分の居場所を見つけることが苦手
な、不器用な子供たちです。社会に出てもきっとうまくいかないかもしれませ
ん。実際うまくいっていない者もいます。だけども、鯖街道のなかでは鯖親父
さんが役割を与えてくれます。「鯖街道には自分の居場所がある!」という気
持ちで自分の世界を守ろうとするあまり、耳障りな意見をする大人に反発する
のです。

 彼らはひとりひとりが鯖親父さんを親と慕い、心を開きます。ですから、彼
らを導くことができるのは鯖親父さんだけなのです。間違っていることは個別
にきちんと指導してもらいたい、と意見を出しました。

 ひとつのことを長く継続していくと、必ず問題が起きてきます。それから逃
げずにひとつひとつ解決していくことが大切だと今回の事件で思いました。本
当にいくつになっても学ぶことが山積みです。

 私は次代を担う若い世代には、小粒であってほしくないのです。嫌な事、困
難なことから安易に逃げてほしくないのです。自分が弱いのを人のせい、社会
のせいにしてほしくないのです。ですからつい、口うるさい親父になります。
鯖街道は、ぬるま湯でいいのか?今でもそう思います。

 2008年8月の鯖街道本番まで、何度かリーダーたちと鯖街道の運営につ
いての話し合いを持ちました。その中で、鯖親父さんも若者たちの態度に腹を
立てたこともありました。しかし、根気よく話し合いをしていくうちに、なん
とか形が出来てきて、その過程で企画の大切さ、考えることの大切さを一部の
若者には伝わったようです。

 これからの課題は若者たちの自主性がでなかった時は、運営側ですべて面倒
をみるべきか、お節介ととられながらも導くことか、まだ暗中模索が続くでし
ょう。

私と鯖街道(その9)

2007-2


後始末

 2007鯖街道は、結局打ち上げもいまひとつ盛り上がらず、消化不良のま
ま終わってしまいました。その原因は「おやっさんが怒鳴った」ことにある、
と鯖親父さんに言われ、二人で延々9時間話し合いをした。
若者は未熟なのであって、その結果に起こった事象であったとしても、鯖街道
存続のために年長者である私が若者に謝罪する、という決着をみました。

 私としてはなんで未熟な子供(若者)に謝らにゃならん、彼らの非について
は言及させんの?いけないことはいけない。それは教えないの?こんなんだっ
たら鯖街道から降りる!と反発したかったのですが、鯖街道の存続のため、そ
のためにはおやっさんの助けがいる。涙ながらに言われたら断れません。

 mixiのコミュニティーで謝罪の文を出し、スタッフにも個人的に謝罪し、最
後に写真展示会にみんなの前でお詫びを言ったら、私への批判的発言が飛び出
しました。いったい私はどこまで謝らなければいけないのか?次は土下座する
のか?これからの鯖街道の存続のために謝るべきは謝る。といった私のとった
行為に対する場の空気を読まない、読めない若者の情緒的な発言にあまりに情
けなくて腹立たしくて、その場を蹴って帰りました。鯖親父さんは彼らに事前
に教育しておかなかったのか?

 その晩、鯖親父さんメールで鯖街道から降りることを伝えました。翌朝頭を
冷やしてみても変わりませんでした。彼も私もずいぶんと心が痛み、しばらく
身体を壊してしまうほどでした。引退宣言はしたものの、やめたくはないとい
う思いもずいぶんとあったのです。

 その後も鯖親父さんと何度かメールを交換し、お互いの気持ちを伝え合いま
した。私は理論的、彼は感情的なメールの内容でした。毎日心の中で愚痴や文
句、自問自答、これからの自分と鯖親父さんと鯖街道の事がグルグルグルグル
回り続け、それでも出口は見えず、そのうち考えが醗酵してきて疲れてきまし
た。まあいいや、ここで鯖街道終わるのもいいかなあ。という気にまでなって
いました。
プロフィール

おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

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