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私と鯖街道(その7)

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親と子の鯖街道

 私が鯖街道と関わって来た中での後悔することは、自分の子供たちを参
加させてあげられなかった事だ。

 鯖街道キャンプウオークは、異年齢の子供たちがお互いに助け合って歩
きとおすことが目的である。だから、主役は子供であって、大人は彼らのサ
ポートに徹する裏方である。大人の介入なしで、子供たちは彼らだけで問
題解決をすることによって成長していく。

 昔の子供たちは、子供たちだけの社会を作り、その中での役割を果たす
事によって精神的に成長をしていた。いまの大人たちはとかく子供に干渉を
しすぎるあまり、彼らの成長する機会を奪ってしまう事に気づいていない。

 鯖街道キャンプウオークはわずか3日間だが、子供たちに自分達の世界を
作らせ、自然の中で、不便な環境下で自分以外の年齢の者とのふれあいの
中で成長させていく、いわば教育の原点ともいえる。

 過去何例か鯖街道に親が子供と一緒に参加したのを見ていると、いずれも
お互い意識又は干渉し合ってしまう。どうしても子供は親を眼で追い、親は子
供のことが心配になる。その結果お互い親離れ子離れの妨げになり、周囲に
いい影響も与えなかった。参加者の子供たちは敏感に親子間の空気を感じ
取り、その結果浮いた存在となり、鯖街道のコミュから排除されてしまう。子
供たちから嫌われた大人が何人も消えてきたのを見てきた。

 異分子を排除してしまう閉鎖性も、併せて持ち合わせているのが鯖街道の
危うい所だが、逆に言うとそれだけ鯖街道に対して純粋な心を持った者達が
集まっているとも言える。鯖街道は彼らの聖域なのかもしれない。

 私は自他共に認める親馬鹿なので、自分の子供を鯖街道に参加させた時、
何割かの意識が自分の子供に向けられてしまい、その結果全体像が見えな
くなり、鯖街道の運営に支障が出てしまう。単なるお手伝い気分で参加して
いるのならば無責任に、おきらくに親子鯖街道を楽しんでいればいいのだが、
そうはいかない。

 そんな風に自分自身で結論付けてしまい、自分の子供たちは鯖街道には連
れて行かなかった。娘は一時鯖街道に興味を示した時があったのだが、敢て
誘わなかった。後になって誘った時、もはや興味を示さなくなってしまって残念
だった。もしあの時一緒に参加していたら、私ら親子は鯖街道を通してどういっ
た関係になっていただろうか・・・今となっては知るよしもない。

 彼らに鯖街道の楽しみと達成感を与えてやれなかったことは残念なことで、
申し訳ないことをしたと思っていたが、幸いに彼らはボランティアとか行事
に自分達で参加し、親の知らないところで成長してくれていた。よその子供
たちに係わり続け、自分の子供に係わりあえなかった、駄目な親父である。
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私と鯖街道(その6)

meisai

第4章

自分にとっての鯖街道

 最初は頼まれて引き受けた鯖街道だったが、回を重ねる毎に自分の人生に
とってかけがえのないものになってきた。子供たちとの触れ合い、リーダー
達の成長、裏方として鯖街道を支えることの充実感、これらに加えて理屈で
は語りつくせない鯖街道の魅力にすっかり魅せられてしまった。

 予算に恵まれた公文時代とは、比較にならないくらいの資金難のなか、独
りで東奔西走し、身銭も切っていた鯖親父さんを少しでも助けてあげたいと、
細かな消耗品や備品などはの寄付し、行動中に使うワンボックスカーは自分
の車を供出もしたりした。一体今まで鯖街道にどれだけお金を次ぎ込んだか
わからない。

 自分は昔から、人から頼まれると嫌とは言えない性格で、そのために色々
な事に関わり、色々なイベントをやってきた。身体障害者アメリカ西海岸ツ
アーのボランテイアを初めとしてアマチュア無線防災訓練、少年柔道の指導
員、子供の関係で言えば保護者会長、地域委員、学級委員などはほぼ毎年や
っている。「なぜ自分がやらなければいけないんだ?誰かやれよ!」とか、
「嫌だ!」と言って何もしない者が多すぎる。損な性格といえばそのとおり
で、苦労ばっかり背負い込んでいるような気もする。多分この先もそんな人
生を送るんだろうが、まんざらそんな自分は嫌いではない。

 鯖街道も回数を重ねるほどにのめりこんでいく自分を意識するようになっ
た。のめりこむならば徹底的にせねばならない。
フィールドワークには、ミリタリー(軍装品)が一番機能的だと思う。もと
もと屋外での機能的行動を目的としているので、使い勝手もいい。そんな装
備で身を固めていると、ちょっと目立つ。当然欲しそうに見ている視線も感
じる。「欲しいの?」「うん」「ほれ、やるよ」割と気前よくあげてしまう
癖もあった。だから、毎年迷彩ズボンの柄が変わっている。

2001年、仕事の都合でどうしても途中からの参加しかできなくなった。
それも2日目の夕方から。伍促たる思いで上根来山の家にたどり着いた時、
皆は温かく迎えてくれた。しかしキャンプファイヤーに参加しながらも、ど
こか居心地が悪いような、居場所のないような違和感を感じていた。
小浜にゴールしたときの達成感、皆が流している涙の中に入れない。共感で
きない。そんなわずかながらの気持ちのずれを感じていた。

やはり鯖街道は京都駅前から参加しなくては鯖街道ではないんだ。暑い夏の
目をみんなと一緒に歩かなければ鯖街道ではないのだ。そう考え始めた時か
ら、鯖街道は私の人生の一部になっていた。

私と鯖街道(その5)

DSCF7011.jpg

二度目の鯖街道

 翌年の鯖街道は、雰囲気も分かり、自分なりの楽しみ方についても見つけ
ることができるようになった。このときに書いた感想文がこの時の気持ちを
正直に表しているので、全文を掲載する。

-鯖街道2000(きっと忘れない夏の日)-

 8月4日、心配されていた台風もどうやらそれて雨の心配をしなくていい
かと思ったら、今度はうだるような暑さがやってきた。

 鯖街道キャンプウオークも、公文から歩く会に移行して今回で2回目、今
年の参加者は17名と人数的にはやや少ない感がしたが、3班編成で少人数
なりにみんながまとまってくれるんではないかという期待もあった。

 京都市内の出町商店街で出発式を行い、そこから鞍馬までは叡山電鉄で移
動した。終点鞍馬駅は木々に囲まれた山の中にあり、蝉時雨の降る中、先行
したサポート組が駅で待っているとみんなを乗せた二両編成の小さな電車が
ゆっくりと登ってくる。出だしから綺麗な光景を見させてもらい、ちょっと
いい気分。

 1日目の花背峠は、とにかく暑い、暑い。今年は前の晩に深酒をしなかっ
たので去年よりは楽に峠を越すことができた。マムシ注意の八丁平では幸い
にマムシの姿は見えず、アオダイショウの出現をみたのみで、あとはしごく
安全に道程をこなすことができた。特に小学4年生の女の子二人は以外に元
気で、山の木々や草花に興味を示しつつ遅れずに歩いている。全体としては、
まだこの時点では仲良し同士くっつていて班ごとにまとまりをみせていない。

 1泊目の大黒谷キャンプ場での夕食は飯盒炊さんにバーベキュー。リーダ
ーの指示のもと、各班ごとにみんな楽しそうに夕食の準備にかかっている。
まだお盆前のせいか、他のキャンプ客もまばらで、ほとんど鯖街道キャンプ
ウオークの貸し切り状態だ。

 日が暮れると山と木々に囲まれた間から降るような星空が見える。今夜の
イベントは花火とスイカ割り。そんななか、当日誕生日を迎えた私を皆が歌
と花火で祝ってくれた。こんな誕生日は40年間を通して初めてで、うれし
くもあり、てれくさくもあり・・。

 その晩、体調をこわした女の子を救急車で京都市内へ搬送するアクシデン
トもあったが、冷静沈着なスタッフの協力で無事に病院に収容することがで
きた。幸い、大事には至らなかったようで一安心。彼女が来年もまた参加し
てくれることを祈る・・。

 2日目に入ると皆の疲れも徐々に出はじめ、私の仕事も忙しくなってきた。
疲れの原因はメンタル半分、体力半分といったところか。しかし女性に対す
る対応は、やはり男では心もとない部分があり、その方面はリーダーのYさ
んに一任することにした。主な症状は筋肉痛、マメなど。普段運動をしてい
る者でも長距離を歩くのは負担が大きいものだ。

 今年の夏は特に暑い。じっとしていても汗が流れ落ちてくる。そんななか、
3日かけて60キロを歩きとおすということは大変なことだ。心と体がおか
しくなるのも当然なことだ。そんななか、班単位で行動していると二日目に
はお互いに打ち解けてきて色んなことを喋りながら歩けるようになってくる。
元気のいい中学生の連中はともすれば遅れがちな小学生を置いていってしま
いがちになるが、高校生、大学生がそれらのバランスをとりつつ、年代を超
えての連体感が歩くことを通して形成されていくようだ。

 根来峠越えは、みんなの体力の限界に挑む意味もあっただろう。前半は急
な上り坂が続き、肩に荷物が食い込み、なんでこんなことを毎年やっている
んだろうと思った参加者もいただろう。しかし根来峠の爽やかな木陰で記念
写真を撮る頃にはここまで登ってきてよかったという満足げな表情になって
いる。

 上根来山の家での夕食後のキャンプファイヤーではリーダーたちの巧みな
リードで盛り上がり、中には喋りながら涙ぐむ者もあった。この夜はみんな
にとってきっと忘れない夏の夜になっただろう。

 夜の山里を歩くナイトウオークに出発するみんなを迎えたのは、道の両側
に燈る蝋燭の列だった。ずらりと並んだ仄かな光は思わずため息が出るほど
に幻想的で、光の道の先は別の世界へ続いているような気持ちになってくる。
心憎い演出に、夜道を歩くみんなもみとれている。

 夜道を歩いて二泊目の下根来小学校に到着して夜食を食べた後、二日間の
疲れがたまっているのだろう、夜更かしする子供もなく、みんなすぐに眠っ
てしまった。スタッフもミーティングをそこそこにすまし、高いびき・・。

 三日目、今日は最後の日だ。みんな終着地めざしてがんばって歩こう。そ
れにしても今日も暑い。みんなの疲れもピークに達しているだろう。重い足
をひきずって歩く子供の顔には表情がない。元気な子らは元気のない子供を
励まし、みんなでゴールを目指す。小浜の町にはいり、後もうすぐだ。古い
町並みを通り過ぎると突然目の前に青い海が広がった。やった!終着点だ。
人魚の像の前でへたり込む。とうとうたどり着いた・・。海からの潮風が心
地よい。ほんとうにきてよかった。

 そのあと鯖街道の起点であるいずみ商店街へ移動し、商店街の方々の心づ
くしの漁師鍋に舌鼓をうつ。この鯖の入った鍋はほんとにおいしいんです!
暑さで食欲がないと言っていた子らもいつのまにか熱い鍋をすすっている。
いつまでもいつまでもこの時間の中にみんなと一緒に身を置いていたい気持
ちでいっぱいなのだけど、始まりがあれば必ず終わりがやってくる。

 小浜から電車に乗って京都駅まで行き、解散式を行った。みんなこの3日
間でずいぶんと逞しくなった。何事かをやり遂げた達成感が彼らを内側から
変えたのだろう。暑くて、つらくて、不便なこのキャンプウオークに、なぜ
みんなは何度も参加するのだろうか。クーラーのきいた家でテレビゲームを
しているほうがよっぽど楽なのに。なぜって聞かれたらみんなはどう答える
んだろうか。達成感、充実感、爽快感、いろいろあるだろう。だけどみんな
同じなのは、「また来年も来ようね!」という気持ちだろう。ほんと、この
鯖街道キャンプウオークは参加者、リーダー、スタッフを通してみんなを惹
きつける不思議な素敵なキャンプウオークだ。

 鯖街道キャンプウオークを通して特に頼もしく感じたのは大学生のリーダ
ー、スタッフのみんなが去年よりもまた成長していたことだ。去年よりも今
年、さらに来年と、鯖街道にかかわっていく彼らは成長を続けていくだろう。
自分の若かった頃を振り返ってみると、果たして彼らほどの精神性を持ち合
わせていたのだろうかと反省することしきりである。

 やがて彼らが社会に出たときに必ずこの経験が成果を表わすに違いない。
次代を担う若者を育成する、そういった意味においてこのイベントを途中で
終わせてしまわないように私を含めて世の大人達は努力をしなくてはならな
い。根来の里に燈った未来への灯火を消さないようにするのは我々大人の義
務でもあるのだ。

リーダーたちへ
 いつのまにか私はみんなの倍近くの年齢になってしまいました。いったい
自分は今まで何をしてきたのか、なんて無駄に歳を重ねてきてしまったんだ
ろうかと君たちを見ていると感じました。
 自分も苦しいのにいやな顔ひとつみせずに笑顔でみんなの世話をしていた
Yリーダー、初めてのリーダーは大変だったのに一生懸命にやっていたHリ
ーダー、元気のかたまりKリーダー、いつも細かいところにも気をくばって
いたのがよくわかりました。君はきっといい先生になれると思います。スタ
ッフのK2君、人柄の良さからみんなに文句をいわれながらもグチひとつこ
ぼさずに一番大切な食材の準備をずっとしてくれました。そして頼りになる
M君。なんだかんだいっても大人も子供も君のことを一番頼りにしていまし
た。君は統率者の資質があります。
 私は3日間という短い間でしたが君たちと出会えて色々なことを話せたこ
とを本当に嬉しく思います。

私と鯖街道(その4)

1999

大汗かいた初回

 鯖親父さんの鯖街道第1回目の1999年8月、社会人スタッフは前日の
打ち合わがあるために、京都は大原にある髭先生の別荘に夕方から集合にな
っていました。私は休暇を一日多く取り、早めに京都市内に入っていたので、
洛北にある髭先生の自宅に招かれました。そこで髭先生の奥さん、長女のノ
ンちゃんと愛犬の歓迎を受け、昼間からの酒盛りとなりました。

 髭先生はくもん子ども研究所の前代表で、鯖街道キャンブウオークを始め、
マレーシア植林ツアー、パソコン通信ネットワークの「目本父親学会」
を立ち上げたり、精力的に数々の企画を立ち上げ、実行してきた実力者でし
た。鮪街道キャンアウオ一クが鮪親父さんの個人開催になっても、後援者の
調整とか、対外的交渉など、陰になり支えてきた影の実行委員長でした。

 髭先生はその体型からは想像できないような斗酒もなお辞さずという酒豪
の人です。趣味は料理で、それが嵩じて調理師免を持つほどの腕前を持ち、
手ずから作られた料理がこれまた趣味のいい小鉢に並べられ、昼間からの宴
会が始まり、次々とビールのビンが空になっていく。話題も豊富で、退屈を
感じない。いつの問にか日が傾き始めていた。

 大原にある髭先生の別荘に移動し、やがて日暮れとともにスタッフたち三
々五々集まってくる。オヤジ共が集まったら当然ビールだ。綿密な打ち合わ
せ作業をしつつも、酒盛り状態になってくる。しかしそこは常識をわきまえ
た連中で、明日からの行動に備えて深酒はしない程度に飲んでいる。ふと考
えると、私は昼間から飲み続けているような気がする…。

 打ち合わせが終わったのは午前1時頃、皆そのへんで高いびき。翌朝は6
時起床で、前日コンビニで仕入れてきたパンやお握りで慌しく朝食を摂り、
集合場所の京都駅に向かう。くもんからの流れが残っているのか、リーダー
もスタッフもてきぱきと動き回っている。わけのわからない私は、鯖親父さ
んに『鯖街道キャンブウオークの集合場所はこちら』という看板を渡されて
烏丸改札口にたたずむ。

 京都駅で集合、出町柳の商店街にある「鯖街道終点」のネームプレートで
出陣式をしたのち、花背峠までバスで移動してから、いよいよ歩きの開始で
ある。はっきりいって私は鯖街道の行程が頭に入っておらず、途中の地名す
ら認識できていなかった。ただひたすらみんなの後をついて歩いているだけ。
それに途中から小雨が降り出して、合羽を着て山道を登っていると蒸れてき
て息が上がり、あえぎながらの山歩きだ。こんなに自分は体力がなかったの
か…と情けない思いをしていたのだが、休憩の時に少し頭を冷やして考えて
みたら、昨日は昼間っから夜中まで飲み続けていたじゃないか…二日酔い状
態で山登りなんかするものじゃない。
迂闇にも自身の体調管理を怠っていた。次からは前日にはお酒を飲まないで
おこうと固く誓ったものでした。
プロフィール

おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

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