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私と鯖街道(その3)

1999-1
第3章

手作りの鯖街道

 くもん子ども研究所からの下地があったればこそ、鯖親父さんによる鯖街
道キャンブウオークは実施が可能でした。しかしながら各方面との調整、後
援者探し、告知、予算などなど、組織の力を借りずにすべて一人で行わなけ
ればなりません。いった何が彼をここまで駆り立ててきたのでしょうか。

 私が鯖親父さんからお願いされた仕事とは、医療支援及び山道でのリスク
管理でした。道中の八丁平という湿原はマムシが多く生息しているために、
万が一の場合に救急処置を施し、患者を背負って駆け下りる、というもので
した。恥ずかしながら私は、あくまで頼まれたから手伝う、といった程度だ
ったので、まだまだ鯖街道は人事で、準備もお世辞にも積極的とは言い難く、
それでも頼まれた医薬品の準備だけは何度かメールの交換を通じて8月の開
催までには済ますことができました。

 自分たちで鯖街道を復活させるんだという意気込みの大学生たちは、役割
分担とかキャンプファイヤーなどのイベント内容について、あらかじめ綿密
な打ち合わせを行い、準備万端で臨んできました。当日リーダーの一人、紙
やんが急病で参加できなくなってしまったのが唯一のアクシデントでしょう
か。

 私はただ、リーダーの歩いていく後を医療品の入ったかばんを持ってつい
ていっただけのようなような思い出があります。もともと出身が岐阜県の山
奥でしたので、子どもの頃からの遊び場は山であり、谷を流れる川でした。
ですので、鯖街道の道中の山や谷川は、子どもの頃の原風景を思い出させて
くれる心地よいものでした。
 昔遊んだ草笛や、笹船、小魚取りとかが自然と思い出され、都会育ちの子
どもたちに教えてやっていると、リーダー、スタッフの人たちも興味深そう
に見に来て、白分も楽しそうに遊んでいました。
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鯖街道と私(その2)

saba1994

第2章

鯖親父さんと鯖街道

 教育塾大手である「公文式」には、「くもん子ども研究所」という部門が
あり、当時は「ヒゲ先生」が代表として、青少年の健全育成のために数々の
意欲的なイベントを立ち上げていて、そのひとつに「鯖街道キャンプウオー
ク」というものがあった。

-鯖街道の由来- 
 昔、若狭で獲れた鯖に塩をして人の背に負われて小浜から京都まで一昼
夜かけて運ばれていくうちに塩が馴染み、京の都に着くころには丁度良い
塩梅になり、当時貴重な蛋白源として喜ばれていた。そして、その道は、い
つしか、「鯖街道」と呼ばれるようになった。

 若狭から京都までの鯖街道は幾つか存在するのだが、鯖街道キャンブウ
オークでは「根来~針畑越え」ルートが採用された。
 夏の暑い日に、着替え、水などの2泊3日分の自分の荷物を背負い、小学
4年生から高校3年生が4~5人の班を作り、大学生リーダーに率いられて
京都から小浜まで、キャンプしながら山あり谷ありの72キロの道のりを歩
きとおす。ただそれだけのイベントなのだが、異年齢の子供たちがお互いに
助け合い、励ましあいながら歩きとおすという経験を通して達成感、絆を澤
めていくというイベントです。

 多感な青少年達の心に、このひと夏の強烈な体験は彼らの心に深く刻み付
けられ、自身の成長の糧となってくれ、毎年新しい感動を子供たちに与え続
けていたのです。

 ところが近年の小子化の影響を受け、学習塾である公文は、経営状態の見
直しを迫られることになり、不採算部門の切捨てを余儀なくされ、鯖街道キ
ャンプウオークも打ち切りとなり、惜しまれつつも、多くの思い出を残し公
文の鯖街道キャンブウオークは終わりました。第1回からスタッフとして支
え続けていた鯖親父さんは、鮪街道保存会の長昭さんと小浜の食堂で二人だ
けで打ち上げをやっていたとき、彼の携帯が鳴りました。そこからは泣き声
ともうめき声ともつかない声が聞こえてきたそうです。

 「お゛や゛じさ゛あ~ん゛、鯖街道をやめないでくだざあ~い!」

 京都で打ち上げをしていた大学生リーダーたちは怒っていました。なんで
こんな素晴らしいイベントをやめてしまうんだ!どうか続けてほしい…彼らの
熱い心の叫びは鯖親父さんの心に深く突き刺さりました。

 この瞬間から鯖親父さんの無限鯖街道地獄が始まったのです。

 若者たちがなぜ、主催者であるくもん子ども研究所の代表者にではなく、
単にお手伝いをしていた鯖親父さんに訴えかけたのでしょうか。感情が激し
てきたり、土壇場になると人間の本当の気持ちが現れてきます。若者たちは
本能的に鯖親父さんを頼ってきました。私が思うに彼の懐の深い人柄が多く
の若者の心を強くひきつけていたのでしょう。

鯖街道と私(その1)

negoritouge

第1章 

はじまりは雪の峠だった。

 4月だというのに標高800mの根来峠の山道は白い雪に覆われている。
登山靴で足元を固めているが雪の冷たさが爪先から這い上がってくる。吐く
息は色いが、しかし春の息吹がどことなく感じられる日であった。本日のパ
ーティは私と「鯖親父」さん、そして小学校教員の「たにせん」さんの3人
だった。子供の頃には登山好きの父に連れられ、よく山登りに行ったものだ。
しかし子供心に山登りなぞ楽しくなく、父があれこれ山の薀蓄を話してくれ
ても上の空だった思い出がよみがえってきた。いつしか自分はその頃の父親
の年齢になっていた。不思議と今の自分には山登りが心地よく感じるように
なっている。それは理屈ぬきだろうな。

 息をあえがせながら峠にたどりつくと、ザラメ状態の雪が固く積もってい
るが、滋賀県側に降りるにしたがって雪も消え、景色は初春の様相を呈して
くる。よもやと思って道端の雪をどけてみると、フキノトウが顔をだしてい
る。同行のたにせんさんに「ほら、フキノトウが顔を出しているよ。」都会
育ちの彼は私よりもずいぶんと年かさなのだが、フキノトウが地面から顔を
だすことが想像の範疇を超えていたらしい。いぶかしげな顔をして薄緑色の
それを見つめている。「天ぷらとか味噌和えにするとおいしいよ。」と教え
たついでに、2,3個つまんでビニール袋に入れてやる。さらに降ると雪も
消え、崖の脇にはタラノメが若々しい色彩で芽吹いている。「ほら、タラノ
メの芽があんなに出ているよ。」「…?」「山菜の王様で、天ぷらには高級
食材だよ。」「!」今度は彼は積極的に採取を始める。崖が怖いといってい
たのに、自ら崖を降りて一生懸命採取している。「棘に気をつけてね。」

 ふもと近くになると、そこは春だ。蕗の葉が繁っている。初春と春を同時
に味わうことができた。山桜も咲き始めている。ふもとにある営林署の管理
舎には「小浜山の会」の長昭氏が迎えに来ていて、そこから彼の車で朽木を
抜けて熊川宿に立ち寄り茶店で葛湯を飲む。同行の鯖親父さんは、鯖街道の
由来とか宿場町の事を色々話してくれるが、外は冷たい雨がそぼ降り、寒い
身体を葛湯で温めることに専念していて、人事のように聞いていた。

 その日の行程の終わりは、小浜市いづみ町商店街の食堂だった。刺身定食
を食べながら、鯖親父さんが鯖街道を今度個人で行いたいんだが、頼れる人
がなかなかいないのです。と語り始めた。私はその時鯖親父さんの願うこと
が解っていたのだが、なかなか「はい、手伝わせていただきます。」とは言
い出せなかった。

 すると黙って話を聞いていた長昭さんが、「鯖親父さんはあんたたちに手
伝ってほしいといっているんだ!」と一喝した。そう、その瞬間が私と鯖街
道キャンプウオークとの長いつきあいの始まりだった。当時はパソコン通信
華やかなりし頃で、大手のニフティのフォーラム(会議室)に、「日本父親学
会」という、くもん子ども研究所主催のフォーラムがあり、そこはお父さん達
が集まってワイワイガヤガヤ楽しく子育てや趣味、グチや悩みを楽しく語り
あう場所で、私も参加させてもらい、毎日楽しく日本全国のお父さん達と語
り合っていた。

 その中にある「髭親父さんの喫茶店」管理人の鯖親父さんとは、書き込む
文章だけでもその魅力的な人柄が窺え、会議室の初対面から不思議と掛け合
い漫才ができる間柄で、親しくお付き合いさせてもらっていた。

 その頃の私は、裏京都市の身体障害者センターが主催する「裏京都市身体
障害者アメリカ西海岸ツアー」というイベントに医療ボランティアとして2
度ほど参加しており、公私共に忙しく過ごしていた時期だった。同じ時期、
くもん子ども研究所の所長の「ヒゲ先生」が立ち上げた「鯖街道キャンプウ
オーク」というのがあり、京都市内から福井県小浜市まで、古道である鯖街
道を2泊3日かけて子ども達が歩くというイベントが行われていた。鯖親父
さんは公文の教師として、そのイベントを支えていた。

 日本父親学会の会議室でも鯖街道キャンプウオークのことについて語られ
ていたのだが、その当時の私には障害者ツアーのほうがウエイトが高く、は
っきり言うと興味がなく、語られていても「ああ、ご苦労さまですね」程度
従って、くもん子ども研究所が、予算緊縮の関係で鯖街道キャンプウオーク
を終了するということも異世界の話だったような気がする。

 ある冬の日、鯖親父さんから鯖街道キャンプウオークの過去の文集と、ビ
デオテープがどっさりと送られて来た。観てみると、子ども達、父兄たちに
強く影響を与えている行事だなあ…というのが印象だった。やがて年が明け、
4月になって鯖親父さんから鯖街道の下見に行きたいので一緒に来てくれ、
という話があり、雪の残る山登りになったという訳です。

鯖街道キャンプウオーク2009年

2009-4

今年の鯖街道キャンプウオーク2009が終わった。

1999年から関わり続け、10年も経ってしまった。
その間本当に色々な事があった。
いろいろな人と出会い、別れ、その中でいろいろな事を教えられ、考えさせられ、
その結果自分自身変ることができた。

鯖街道2009では、人と人とのつながりは人生の中で宝物だということを強く感じた。

1日目の夕食時、自分の不注意で参加者の子供に火傷をさせてしまった。
バーベキュー着火のためのアルコールが飛んでしまったのだ。
普段から「リスク管理」を自ら標榜していた本人が、いちばんやってはいけない危険な失敗をしでかしてしまった。
おまけに自分は医療従事者・・・自ら手を下して怪我をさせてしまった。
幸い火傷の程度は1度(赤くなる程度)で、冷やせば大丈夫なんですが
本人の受けたショックと、父兄への説明を考え、キャンプ場から救急車で医療機関へ搬送することにした。
救急車を待つ間、救急車に乗り込んで病院に着く間、ひどく長いこの間、この始末をどうつけるか
そればかり考え続けていた。
どう責任をとるべきか・・・・・・・・

責任を取るためには
自分は身を引かなければならない。
キャンプ場に帰ったらその足で家に帰ろう。
二度と鯖街道には関与しない事にしよう。

いや、逃げ出してはいけない。
針の筵の上にあっても、最終日まではこの場にとどまらなくてはいけない。

でも、でも辛い。
ああ、時間が戻ってくれないかな。
あの時の前まで・・・

失敗は失敗
やってしまったことを後悔するよりは、いかにして後始末をつけるかだ。

ああ、辛い。

救急指定病院について
病院で医師の手当てを受け「大丈夫ですよ」と言われた。
気持ちが少し軽くなった。

問題はその後だ。

楽しいはずのバーベキューとそのあとの花火に影響を与え、
参加者、スタッフに大きな迷惑をかけてしまった。
家族にも心配をかけてしまった。

夜中の10時半にキャンプ場に帰ってきたらスタッフミーテイングの最中だった。
刺すような視線に包まれるのを覚悟で、まずみんなの前で謝った。
その場から逃げ出したかった。
しかし意に反してエキセントリックな反応は何も返ってこなかった。
ミーテイングは淡々と進み、やがて何事もなかったように終わる。
皆それぞれの仕事に戻ったり、明日のキャンプファイアーの打ち合わせのために、
それぞれ散っていった。
自分はというと、しばらくその場の椅子に座り込み、呆然としていた。

すると窓の外からスタッフのT君が呼んでいる。
「ちょっと来てくれ」
ミーテイングの続きかと思って屋外食堂に行ってみたら
若手スタッフが集まっていた。
「おやっさん、まだ夕食を食べていないでしょう?これからバーベキューの二次会やろう!」

「・・・・・・!」

カセットコンロを二つ並べて網を載せ、その上に肉を山盛りにしてボウボウ焼き始めた。
焼くというよりも、肉が燃えている。油がダラダラ下に落ちて溜まっている。
なんて豪快な、無茶苦茶な焼肉だろう。
自分を中心に座らせて集まったスタッフたちがワーワー、ギャーギャー騒ぎながら
夜中の大宴会が始まった。
炎にあぶられた肉が焼け焦げ、ウインナーは炭化し始めている。
煙があたりに立ち込めている。

煙が目に沁みて、涙がにじんできた。

目の前では、いつも明るいK君が火に煽られながら肉をドサドサ載せている。
横では、T君が自分にビールを勧めながら、飲めない酒をグビグビ飲んでいる。
後ろでは、いつもはほとんど食べないNちゃんが黒こげ肉を皿に山盛りにして頬張っている。
いつのまにか年配のスタッフたちも集まってきて騒ぎ始めた。

こんな騒がしく、熱く、そして温かい焼肉パーティーは産まれて初めてだ。

みんなが激しく落ち込んでいる自分を一生懸命励まそうとしてくれている。
みんな疲れ果てているだろうに・・・早く寝たいだろうに・・・
仲間ってすばらしい。
この仲間たちと出会うまでは、励まされたりお慰みされたりすることに嫌悪感を感じていた。
きっとそれは自分の生い立ちと、心からの励ましを受けてこなかった、またはそう感じていなかったせいだろう。

しかしこの夜ばかりは、みんなの気持ちが嬉しかった。心から嬉しかった。
こんなに人の気持ちを正直に受け止める事ができたことは初めてだ。
彼らに出会わなかったら、こんな自分にはなれなかっただろう。
いい歳をして、今頃こんな事に気づいた。

最高の仲間たちって、こういった連中の事をいうんでしょうね。

起こしてしまったことを、いつまでもくよくよ後悔していてもしかたがない。
失敗をいかにして誠実に対応して、そして挽回するかだ。
火傷をさせてしまった子と親御さんには申し訳ない気持ちで一杯だ。
幸い親御さんたちは謝罪に対して笑って対応してくれた。
火傷をさせてしまった子は、来年も参加してくれると言ってくれた。

至らない自分をみんなが受け止めて、仲間として認めてくれている。

自分は一生忘れない。
この晩の黒焦げの肉とウインナーの味を。

2009-3
2009-2
2009-1




プロフィール

おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

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