FC2ブログ

鯖街道キャンプウオークの終わり

saaba2011a
 1999年に鯖親父さんの鯖街道発足を手伝ってから、10年以上経ってしまった。その間、毎
年山あり谷あり、順風満帆な年はなかった。鯖街道は準備・計画・実施・後片付け・挨拶と一年を
通してやっていた。それに二人は喧嘩ばかりしていたような気がする。

 計画通り緻密にやらないと気がすまない私と、感覚的でアバウトにやりたい鯖親父さんとは両極
端だった。でも、だからこそうまくいったのかもしれない。過去あまたの大人がスタッフとして関
わってきたのだが、気がついたら残ったのは公文時代の鯖街道創始者である髭先生を別格としても
私だけ。それだけ鯖街道のスタッフには求められるものが多いのだろうか。

 毎年毎回、何かしらの天候やアクシデント、人間関係のトラブルに巻き込まれていた鯖街道、で
もその都度みんなの力を借りて乗り切ってきた。

 そんな鯖街道の集大成であるファイナルに、転勤の都合で参加できなかったことは
「人生三大残念」堂々1位にランキングされるが、かえってそのため、鯖街道を広く、客観的に眺
めることが出来たように感じる。日程途中からの参加とか、京都駅の見送り出迎えのみだったら消
化不良を起こすが、全く参加しないのなら、それはそれで割り切ることができる。自分でも不思議
なくらい冷静に今年の鯖街道を見つめられた。

 来年はもうないので、プラス思考で終わるのがいいのかもしれないが、鯖街道の汚れ役
「ダーティーおやっさん」の役回りを最後にさせてください。汚れ仕事は鯖親父さんの替わりに全
てやってきました。

 「男子三日見ざれば括目せよ」、といわれるとおり、括目すべき青年が多く現れた。それが鯖街
道を通して成長したのであれば、鯖街道は誇るべき人材育成事業です。若者の心にしっかりと種を
蒔き、そして芽吹かせやがて花を咲かせる。彼らは社会に出たとき、どんな活躍をしてくれるだろ
うか楽しみです。

 逆に四十歳を超えた大人の意識改革を求めることは無理だったことを再確認したのは残念なこと
だ。本来鯖街道の大人(おっさん)は、若者のよき相談相手になり、成長の手助けをするのが役割
だ。しかし、そういった大人が極端に少ない。四十歳を超えて自分の意識を変えるためには膨大な
労力が必要なのだが、もともとエネルギーが少ないから出来ないし、しない。出来る人はとっくに
やっている。

 それを考えると多感な、柔軟な10代~20代のうちに鯖街道のような環境で悩んで考えて失敗
することを敢えてさせることで、成長を促すような機会を与えることは大切だと思う。

 鯖街道の主役はあくまで子供なのです。子どもありきの鯖街道。スタッフは裏方に徹して表には
出ない。しかしてそのためには一人として無駄のない、一人二役も三役もこなす動きができる人が
必要なのです。

 天候・地形・体調などなどによって刻々と変化する状況の中、全体の流れを把握して適時適切な
指示を出す、意見具申をする、対処をする。そして子ども達を安全に導き、更には達成感へと繋が
るようにする。それが出来る人をスタッフとして求めているわけですが、残念なことに大人が時と
して足を引っ張ったり、足かせになってしまったこともあった。

 ファイナルでもどうやら大人が足かせになっていたようだ。鯖親父さんのイライラの原因はそこ
にあったようだ。善意で、手弁当で集まってきてくれる大人たちを無下には断ることは出来ないが、
自分が楽しむことが第1、の大人は参加してはいけない。

 熱い教育論を声高に語り合いながら宴会場と化していた深夜の下根来小学校、翌日は二日酔いで
使い物にならなかった大人たち、いち早く冷房の利いた車の中に入り込み子供たちの後を併走して
くる大人躾の出来ていない大人、室内で帽子をかぶったまま食事をしたり、敷居を平気で踏んだり
する。自分の感情を制御できない大人など、眉をひそめるような大人たちがたくさんいた。

 鯖街道の行動中は、社会的しがらみから解き放たれているし、ある意味極限状態なので本来の人
間性が出やすい。駄目な者は駄目な部分が突出してくる。

 親子で参加した人たちも数多く観てきた。大概うまくいっていなかった。親子参加でうまくいっ
ていたのは鯖親父さん、髭先生親子だけだった。それも公文時代の大昔の話だ。

 親は子を、子は親を、それぞれ無意識のうちに求め合い、その結果子供の自主性が失われ、成長
がみられずに鯖街道の日程を終えてしまった。問題解決は大人に頼らず子供たちだけでしなければ
ならない。それが鯖街道の掟だ。親は子どもと参加することによって子どもの成長の可能性を奪っ
てしまうことに気づいてほしい。

 自他共に認める親馬鹿の私は、自分の子供たちを意地でも鯖街道に参加させなかった。果たして
これはよかったのだろうか。今となっては知る由もない。

 今年の8月を境に「鯖街道キャンプウオーク」は、思い出になってしまった。楽しかった思い出
を胸にしまっておくのもいいだろう。時々語り合うのもいいだろう。でも前に進む若者は、前だけ
見て歩いてほしい。過去の楽しかった思い出を逃げ道にしてほしくはない。未来はだれにもあるの
だから。

 さて、この先鯖親父さんはいつまで沈黙を守っているだろうか。たぶん彼は立ち止まることので
きない人生を歩んでいるであろうから。そしてかくいう私も、何かをし続けていなければ自分自身
を保つことができない性分を背負っている。

鯖親父さんが沈黙を破ったときが私の動くときかもしれない・・・・・
スポンサーサイト



鯖街道2010いろいろ

2010a

みんなありがとう。鯖2010

京都駅に集う鯖街道キャンプウオークの仲間たち。
甘えん坊の君たち、思春期を迎えて戸惑う君たち、大人の存在がうるさく感じる君たち、
自分の進む道を探して悩む君たち、人生について悩む君たち、
そんな君たちと一緒に山を歩いて、川で遊んで、色々なことを語った時間はひどく贅沢で、
そしてあっという間でした。

世の中では、今年の夏は例年にない猛暑で、各地では観測史上記録的な気温とか。
熱中症での死者は何人とか・・・鯖街道2010開催に当たって不安不安不安でした。

山の神様は子供たちを熱中症から守ってくれました。
その木立を広げて直射日光を遮り、葉からの放熱で気温を下げ、
心地よい風を送ってくれました。

リーダーは班員をきちんと見つめ、サブリーダーはそれを助け、年長者は年少者への
いたわりを忘れず、みんな見事な連係プレーで夏の暑いなかのウオークをやり遂げました。

誰一人として落伍者もなく、それにそれにみんな驚異的なペースで目標を次々と達成していきました。
これはすごいことです。

それにひきかえ前々日に50歳になったばかりのオジサンは、気だけは若いつもりでも寄る年波には勝てず、
ただみんなに遅れまいと、全身汗汗汗で必死になってついていきました。

みんな完歩おめでとう!
みんなの人生の夏は今まっさかりです。
ひとりじゃできないことも、仲間がいれば何でもできます。
鯖街道の仲間といつまでも仲間でいてください。

スタッフの皆も仕事があるなか、無理をして都合をつけてくれて参加してくれてありがとう。
あんまりみんなが頑張ってくれるので、私はずっと幸せな失業状態でした。
報われることの少ない裏方を一生懸命やってくれてありがとう。

今年もみんなの笑顔が見られて幸せです。
来年は鯖街道ファイナルです。
みんなもうひと頑張りだ!


嬉しかったこと

「俺、おやっさんが親父だったらいいなあ、といつも思ってます!」
「おいおい、鯖街道の時のわしはほんの一部で、本当は人でなしの親父やよ」
「それでもいいっす!」
子供のまっすぐな言葉って心に沁みます。

2010b
去年わしの不注意でやけどをさせた子が今年も参加してくれたこと。そしてその子と
とても仲良しになれたこと。彼女に鵜の瀬で何度も水に落とされました。
顔をあわせて笑いあいました。


「俺、M医療技術大学の柔道整復士学部に行きます!」
「わしの子供たちがそこの看護学部に行っているよ。下宿先の斡旋ならまかせんかい!」
彼はスポーツトレーナーを目指しているそうです。
鯖街道医療スタッフがひとり増えそう。心強いなあ。


高専生が、大学の編入試験の結果、岐阜大学に行くこと。
わしはもともと岐阜県人なんで、岐阜の香りを胸いっぱい吸い込んで岐阜県のいいところを
たくさん見てきてほしいなあと思います。味噌カツもうみゃーでよ。


アクシデントでリーダー不在の班があり、初参加ながらリーダー代行をお願いした高3の子が
一生懸命にみんなの面倒をみてくれたこと。
鯖街道が何やらわからないのに、どこの道をどう歩いているのかわからないのに、
自分も辛いのに、頑張ってくれていました。
来年はリーダーで参加してください。

2010c
鯖親父さんも言っていましたが、リーダーが100点だったこと。
本当に色々計画をしてくれていました。
たとえ企画倒れでもいい。失敗してもいい。
大切なのはやってみること。
君たちってすばらしい。鯖街道の宝物です。


リピーターのみんながリーダーを支えてくれていたこと。
初日からなぜか班でまとまっていました。
仲良し同士で変につるんでいなくって、初参加の子をフォローしながら
リーダーがやりやすいように、サブリーダーのもと、きちんとまとまるように動いてくれていました。
それが自然なうごきでした。
君らも100点です。




2010年4月保護者の鯖街道

5月3日、4日で鯖街道キャンプウオーク保護者の方と鯖街道を歩いてきました。
企画:わし。
サポート:鯖親父さんとわし。
参加者:鯖街道キャンプウオーク参加常連高校生Aさんのお父さん、お母さん

5月3日(1日目)
午前9時に京都駅に集合、出町商店街~大原~大見に車で移動

a001
大見神社
朽ち果ててつぶれた社務所の残骸を
見て、感慨深げです。

a002
午前11時半
二の谷管理舎で昼食を摂り、八丁平へ向かう。
天気は上々、気温はぐんぐん上がる。

a003
林道登りの頂上
景色が一面に広がる。
「お父さん、大丈夫?」
「う、うん大丈夫だ!」
a004
八丁平の湿原は、なぜか木々の芽吹きが遅い。
a005
原因は、気の病気と鹿が草木の芽を食べてしまったことにあるようだ。
a006
山の湧き水は、どうしてこんなに美味しいんでしょう。
a007
子ども達はここで記念写真を撮っているんですね。
風が気持ちいい。
a008
山を下って林道に出る。
今日は乾燥しているのでヒルは出ないので安心だ!
しかし道は崩落している。
a009
午後3時
オグロ谷キャンプ場を出て針畑を歩き始める。里歩きのサポートは鯖親父さん。
身体のあちこちが痛いと言っていたが、どこまで歩きとおせるか?
a010
意外と鯖親父さんのウオーキングのペースは速い。
子供達が1時間かかる道のりを30分で歩いてしまう勢いだ。
サポート車も、うろうろしているとあっという間に追いつかれ、追い越されてしまう。
a011
午後5時半
山帰来に到着
体力の限界に挑戦し続けた鯖親父さんはダウン状態になる。
a013
親父さんの好きなコーヒーを淹れるので、起きてきて豆を挽いておいてください。
「へ~い・・」
a012
夕食はかんたんスパゲッテイと缶メシ・・・
ビールにチューハイ

その晩は山帰来に宿泊

夜更けまでAさん夫妻から色々な話を聞かせてもらいました。




5月4日(2日目)
a014

朝6時
針畑の朝は快晴で気持ちがいい。
朝食はおなじみカートンドッグ
炎をみているとなぜか落ち着く。
a015
「娘はいつもこのカートンドッグの事を話していたなあ・・・」
a016
午前7時30分
山帰来を出発、根来坂峠を目指す。
山歩きのサポートは、わし。
a017
いつもの場所には丸木橋がかかっている。
気をつけて渡ってください!
a018
気温がぐんぐん上がり始める。
急な山道をひたすら登り、焼尾地蔵までたどり着いた時点では汗だくになっている。
疲れが出始めた鯖親父さんは今日はサポート車専属
a019
更に登り、ついに根来坂峠に到着する。
携帯の電波が3本立っているので家に居る娘に電話する。
「今、根来坂峠にいるよ」
「ふ~~~ん」
「・・・・・・・」
a020
上根来山の家
廃校はやはり興味深いものだ。
a023
小浜市内に車で入り、昼食は市内の「丸亀製麺の釜あげうどん」
いづみ商店街の焼き鯖「朽木屋」さんの店先には、おいしそうな焼き鯖が並ぶ。
a024
鯖街道起点のプレートで、ちゃんとここまで歩いてきたことの証明写真?を撮る。
鯖親父さんの姿が見えない・・・?
きっと朽木屋さんの店の中で休憩しているのでしょう。
a025
雲隠れした鯖親父さんを残して海岸の「マーメイドテラス」に行く。
a026
潮の香りと風が気持ちいい。

帰りは混雑する京都市内を避けて、琵琶湖西岸のJR近江今津駅で解散
わしは車で舞鶴市に帰り、鯖親父さんとAさん夫妻は網干行きの新快速で大阪に帰る。

1泊2日の鯖街道体験ツアーは、晴天に恵まれ、木々の緑が美しい鯖街道を十二分に楽しむことができました。
今度は秋の紅葉が綺麗な鯖街道をみんなで歩きましょう。

私と鯖街道(その12)

2009

存続の危機

2009年に政権が変わり、その余波が鯖街道にも押し寄せてきた。鯖街道
開催の生命線である「子ども夢基金」が事業仕分けの俎上に上がり、真っ先に
切り捨て候補にあがってしまった。問題は事業の内容よりも天下り役員の貰う
報酬に問題がありのようだと思う。鯖街道をはじめ、次世代を担う子どもたち
の育成のために一生懸命真面目に事業をしている団体にとっては死活問題とな
った。
「あんまりじゃないか!」「ひどい!」「おかしいよ!」「こんなのない!」
そう、最初は情緒でいい。しばらくは感情をぶつけたらいい。
でも、そのあとどうするかが問題です。前に進むためにはどうしたら・・・。
まず、鯖街道をやるかやめるか。できたらやりたい。無理してもあと2回はや
りたい。そのためにどうするか。鯖親父さんと私は考えました。みんなも考え
てくれたはずです。
 新たなスポンサーを求める、アフリエイトを使って資金調達をする、参加費
だけで節約する。みんなで鯖街道について自分のこととして考えてくれたはず
です。忘年会とか新年会、Mixiなんかで活発な議論がかわされるかと期待しま
したが、案に相違していまいち反応がありませんでした。少し残念な気持ちで
した。若者は鯖街道の存続を期待していないのかな?
 鯖街道の灯火を消してはいけない!と考えるのは一部の年寄り軍団だけだっ
たのでしょうか。自分達で何とかしようと思う若者は最早鯖街道にはいなくな
ったのだろうか。

鯖街道は若者が若い情熱を持って開催していくというのは、年寄りのセンチメ
ンタリズムだろうか・・・・

私と鯖街道(その11)

sabaoyaji


明日に向かって

 鯖親父さんが泣かせた子供たちは、確実に成長している。彼は実に子供たち
の心の琴線に触れるのが上手だ。
 鯖親父さんは65歳を境に鯖街道を引退するつもりで、去年あたりから徐々
にその意志をスタッフなど、周りに漏らし始めていた。気力体力の限界を感じ
始めてたからだろう。組織の力を借りず、徒手空拳でこの種のイベントをこな
すのには苦労が耐えなかったのだろう。徐々に彼の精神と肉体は蝕まれてきた
のだ。ここまで来れたのは奇跡に近い。

 よく彼は私に対して、「自分の引退後は鯖街道を引き継いでほしい。」と言
う事があったが、私は頑として拒み続けてきた。なぜか?答えは明白である。
私を含めて鯖街道に集う者たちは、鯖親父さんを慕って集っているからだ。一
人一人が直接鯖親父さんと繋がっている。その人柄を慕い、手弁当で協力を惜
しまないのである。かくいう私も、鯖親父さんに誘われてから鯖街道にどれだ
け注ぎ込んでいるかわからない。男が男に惚れるとはこのことだろうか。理屈
抜きだ。

 おそらく他の連中も金銭では到底購えないほどの何かを鯖親父さんと鯖街道
をやることによって得ていると思う。そんな関係の中、精神的主柱である鯖親
父さんが抜けた後、ただの枝葉でしか過ぎない私が鯖街道を引き継いでも、今
の連中は集まってこないだろう。『こんな簡単な事もわからないのか!もっと
自分を知れ!』とその都度彼に向かって叫んできた。

 そんな問答を繰り返すうちに、2009年の鯖街道を迎え、そこで我々は、
確実に次世代が育ちつつある足音を聞いてしまった。今年の参加者はどこか違
う・・・高校生は大学生のレベルに、中学生は高校生のレベルに、小学生まで
が一段高い視点を持ち始めていたのだ。鯖親父さんが過去に泣かせた子供たち
の成長は著しかった。自分を認めてくれた、褒めてもらえたといった嬉しさで、
感動で泣いた経験は、彼らの心を確実に成長させていたのである。
プロフィール

おきらく道場主

Author:おきらく道場主
柔道弐段剣道弐段腹参段のあやしい絵描きのおやじです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード